※『ハズビンホテルへようこそ』世界観パロディ
「閉廷!」
硬質な音が二度打ち鳴らされて、赤い闇で出来た法廷が消えていく。法廷の主に契約で縛られた、配下の罪人の悪魔たちは、やれやれ、やっと終わったかと気だるげにそれぞれの地獄での生活に戻っていった。法廷があったところの地面には、ただ赤い血のシミだけが残った。
役目を終えた裁判長が、禍々しい上級悪魔らしい姿から日常を過ごす姿へと戻っていく。全身が真紅の薔薇と棘の蔓に覆われた、小柄な男の姿へと。薔薇を人間の姿にしたのなら、きっとこのリドル・ローズハートになるだろうと、俺は死ぬ前からひっそりと思っていた。なので地獄でも、先に死んでいたリドルをすぐに見つけ出すことができた。
「まったく、どいつもこいつもろくでなしばかり……」
「しょうがないだろ。だってここは地獄なんだから」
「トレイ、キミには明日の裁判の下調べを頼むよ」
「もう次があるのか? たまには休んだらどうだ?」
「そんなわけにはいかないよ。それこそ、ここは地獄なんだから」
リドルは、死の直前まで裁判長をしていたらしい。だからか、地獄に会っても罪人を”裁く”ことが己の責務だと信じている。しかしそこには何の正当性もない。ただ、司法も警察も機能しないはずの地獄で、生者の法を押し付けて他の罪人をねじ伏せているだけだ。突然の裁判にかけられた罪人の末路は、契約を結んで”労役”につき”法廷”を手伝うか——処刑されて二度目の死を迎えるか。二つに一つだった。俺がリドルを見つけた時にはもう既に”法廷”の実態は、そう名乗っているだけの暴力組織になってしまっていた。
七つある地獄の階層の一番上、傲慢の階層の辺境で”法廷”は活動している。かつて人間だった罪人たちはそこにしかいられないのだ。傲慢の辺境にある邸宅に帰ると、おかえりー、とケイトが出迎える。数少ない、リドルに友好的な契約者の一人だ。
「お客さんが来てるから応接室で待ってもらってるよ。どうしても裁いてほしい罪人がいるんだって」
「わかった。すぐに対応しよう」
返り血がべったりとついたスーツを着替えるために、リドルは私室へと去っていった。
「……突っ込んだこと聞いてもいい? トレイくんってリドルくんとは死ぬ前からの付き合いって本当?」
客に出すお茶とお菓子を用意しながら、ケイトが質問してくる。もうそれなりに気心の知れた仲だと思っていたが、まだ話したことは無かったか。
「幼馴染ってだけだけどな」
「生前のリドルくんってどんな感じだった?」
「俺も高校を卒業してからのことは知らないが……まあ、あの頃から自分にも他人にも厳しかったよ」
「見た目は? トレイくんのも気になるけどさ」
「見た目? それなら昔もあんな感じだよ」
「いや、あんな人間離れした感じなわけないじゃん!」
「何を話しているんだい?」
服を着替えたリドルがキッチンの入り口に立っていて、こちらを睨む。と言っても、眼窩のあるべきところには大輪の花が咲いているから、そんな風な気がするだけだが。
ゴメンゴメン、実はさ……と弁解を始めるケイトをよそに、俺は生前のリドルの姿を思い出す。幼少期の目の輝きと、それを覆う涙。少年の頃の凛とした眼力。気まずく交わっては逸れる視線。あの瞳の、雨が降り出す前の曇り空のような灰色を覚えているのは俺だけでいい。
一度だけ、どうして罪人を裁くのかとリドルに質問してみたことがある。この地獄に墜とされ、いつ天国によって粛清されるかもわからない状況に置かれることこそ既に、全ての罪人にとっての罰なのではないかと。リドルの答えは、「とてもそうは思えない」というものだった。
「ボクは誰よりも正しかった。このボクにくだる罰と、他の罪人どもにくだる罰が同じでいいはずがない」
はっきりと通る声で揺るぎなく答える。
「これはきっとボクに課せられた使命なんだ。果たし続けていれば、いつかは天国に行けるかもしれない」
「……そうか」
どうすれば天国に行けるかなんて、誰も知らない。けれど血で汚れたこの薔薇は、きっと天国に咲くことは無いのだろう。俺はこれが見られただけでも、地獄に堕ちてよかったと思っているんだが。
「行けるといいな」
「何を他人事みたいに……キミも行くんだよ。ケイトも、エースも、デュースも。”法廷”のみんなでね」
「……ああ、頑張ろうな」
生前は、高校卒業とともに離れ離れになってそれきりだった。リドルの隣に居続けられるのなら、天国だって地獄だって、どこでもいい。今度こそ俺は、リドルのためにできることは何でもするつもりだ。ただ、「俺たちは」「お前はきっと」「天国には行けないよ」と告げることだけは、どうしてもできなかった。