ヴィネジュ前提ですがくっついておらず、ヴィル様は全ネームドキャラと無関係な養子を育てていてネージュくんには感情を告げることなく疎遠になっている話です。
同じ設定のヴィルさま非恋愛夢
物心つくかつかないかの時から父は私をスクリーンの前に連れていってくれた。最初こそろくに座席に座っていられないような幼児向けの映画からはじめたけれど(あのヴィル・シェーンハイトが真面目な姿勢で幼児向け映画を観ていたのだ!)、私が黙って座っていられるようになるとすぐに対象年齢を上げていった。私に少しだけ背伸びをさせるような、その時には話の内容がわからなくても後々「こういうことだったのか」とわかるようなチョイスが多かったように思う。その頃の私はただただ映像や音楽を楽しんでいた。
座高を調節するクッションの上で、色々な映画を観た。レッサーパンダの母娘の衝突を描いた映画。画面いっぱいの赤色と、フワフワした毛並みのぶつかり合いが美しかった。人魚の少年たちの夏の思い出を描いた映画。揺蕩う海の青色、海辺の町並み、雨と悲しみ。なかでも幼児期の私の心に強く焼き付けられたのは、生と死の世界を表現した映画だった。死に行く人々を数えている仕事熱心な会計係と、これから産まれる人々を導く優しいカウンセラーたちの話なのだと理解したのはずっと後のことで。その時の私は、イマジネーション豊かに表現された世界と、それを彩る音楽に夢中になっていた。
けれどこの映画を観に行った時のことをよく覚えているのは、単にこの映画が素晴らしかったからじゃない。ぐす、とスクリーンの外、すぐ隣の座席から普段は聴こえない音がしたからだ。
(ダッド、泣いているの?)
ひそひそ声で訊ねそうになったが、以前それをして怒られたのでやめた。画面の中ではカウンセラーが慈愛に満ちた優しい声で、生まれ出る魂をあやしていた。優しい、男性の声だった。大人も泣くんだ、ダッドも泣くんだ、と私はその時初めて知ったのだ。
「ダッド、このえーが、かなしかった?」
映画が終わったあと、メイクを直す父に我慢できず質問をする。父はそうね、と目の下にプレストパウダーを当てながら思案していた。
「難しい題材だったと思うわ。一歩間違えれば説教くさくなりかねない。でもこの映画には上っ面じゃなく人の心の奥を揺さぶるだけの力があるのは確か」
そういうことじゃない、と子供心に思ったけれど、当時の私にはそれを言語化して切り込む力がなく、少しの違和感を抱えているしかなかった。映画が終わって、父はもういつもの父に戻っていた。だがあの時の涙はおそらくもっと個人的な、“ヴィル・シェーンハイト”としてのものだったのではないか。
「アンタが喋り出すよりも先にアタシの感想を聞きたがるなんて、珍しいじゃない。アンタはどう? 難しいお話だったけど、楽しめた?」
「よくわかんなかった。でも、もっかいみたい」
その映画は、私にとって人生で何度も見返す映画になった。何度あのシーンに至っても、自宅では父が表情を崩すところはついぞ見られなかった。成長して、映画館の暗がりで聴いた幻聴だったのかもしれない、と思い始めた頃。あのカウンセラーの声を演じていたのがネージュ・リュヴァンシェだとたまたま知った。早くに芸能界を引退してしまったその俳優の写真を検索しても、若い頃のものしか出てこない。あの映画に出たのだって、頼み込まれて特別に、ということだった。一目見れば忘れられないほど愛らしいかんばせに、私は一枚の写真を思い出す。インターネットに出回っている引退間際のものより少し年齢を重ねたその笑顔を、私は一枚のツーショット写真で見たことがあった。人一人分ほどの距離を空けて一緒に写っているのは父で、お馴染みの呆れ顔で腕を組んでいた。父が撮影で家を空けている時にチェストの底から偶然見つけてしまった古い写真。あの写真の美しい人の名はネージュ・リュヴァンシェというのか。もう一度写真が見たくなって、私はチェストの引き出しをひっぱった。けれど納められている洋服を全て取り除いても、そこに写真はなかった。
「何を探しているの?」
「ダッド」
そっと投げ掛けられる声。部屋の戸口で父がこちらを見つめていた。
「今度の新作で、服を踊らせたいの。柔らかすぎるより、ちょっと固い生地の服がいいんだけど」
「——あら、そう」
制作しているストップモーションアニメーションを口実にすると、父は「これがいいんじゃないかしら」と何でもないような声で一枚のシャツを私に手渡した。
「……ねえ、ダッド」
「……シッ」
父が美しい眉をひそめて、人差し指を立てる。
「秘密よ。何を訊かれても、答えたくないわ」
父は私に多くのことを教えてくれた。今教えてくれているのは、『秘密を持つこと』だった。
「そういうこともあるの。わかってちょうだい」
そういうと父は、穏やかに微笑んだ。それは、掴むことはできない小鳥の歌声や、手のひらで溶けていく雪のような、けして手に入らない美しいものを諦めるときの。儚い笑みだった。