ツイステッドワンダーランド/トレイ・クローバー×リドル・ローズハート
※『打ち首の上塗り』のおまけです。そちらを読まないとわからないと思いますが、人を選ぶ作品だと思うのでお気をつけください。 ※刑務所や刑法などの雰囲気捏造があります。 「リドル・ローズハートという男、何があってもトレイの手を離さないでくれ」という願望強めです。
黎明の国某所の刑務所にトレイが収監されて、数ヵ月が経った。懲役7年の判決を受けて日々を無為に過ごす。その間に季節は冬の終わりから春、そして夏へと変わっていた。
「354番、面会だ」
刑務官の呼び掛けに刑務作業の手を止める。心当たりがなかった。両親は遠方で自営業を続けているため、おいそれと来ることはできない。次に来るのは秋口だと、手紙にも書いてあったはずだ。
面会室に入ってガラスの向こうに懐かしい赤を見つけた瞬間、世界がパッと鮮やかになった気がした。
「……トレイ」
「——リドル」
相手をみた瞬間に口から漏れた言葉は、お互いガラスに遮られて届かなかっただろう。震える手で据え付けられた受話器を取る。
「なんで、ここに」
「何から話したらいいか——ホリデーの間だけ、この街でバイトしながら滞在しているんだ。キミに会いたくて」
「……よくあの人が許したな」
「そんなの、キミが気にすることじゃない」
「……無許可なんだな?」
「キミがしたことほど、大胆じゃないよ」
沈黙が面会時間を圧迫する。やっとのことで、リドルが口を開いた。
「ずっと後悔しているんだ。どうしてあの時、ランスロットの遺体——その時点では死んでいなかったわけだけど——から逃げてしまったのか」
あの場から逃げていなければ、トレイが罪を犯すこともなかったのではないか、と。自分のために。自分のせいで、トレイに罪を犯させてしまったのだ、と。
その告白を受けて、トレイは凍りついた。リドルの未来を狭めたくない一心で人を殺めたのに——今やリドルは、己に縛りつけられている。それはトレイにとって、どんな罰よりも苦しいものだった。
「わざわざ、そんな話をしにきたのか」
感情を圧し殺した冷たい声で言う。
「迷惑だ。もう来ないでくれ」
ここで突き放して、リドルを自由にしなければ。わざわざ会いに来てくれたことも、そのためにこれまでのリドルならけしてしない危険を侵してくれたことも、——罪の意識であってもリドルの心の中をトレイが占めていることも。本当は、飛び上がりそうなほど嬉しいが、絶対に悟られてはいけない。
「今となっては、後悔してるよ。なんでお前なんかのために人生を棒に振ったんだろう、って」
リドルは俯いて唇を噛む。
「忌々しい、お前のことなんか忘れたいよ。——お前も、もう俺のことなんか忘れてくれ」
「嫌だ!」
荒げられた声に、壁際に立っていた刑務官がじろりとこちらを一瞥したが、声をあげたのが受刑者ではなく面会者であり、危険性は無さそうだとわかると視線を元の位置に戻した。
「そんなのは——絶対に嫌だ」
まもなく面会時間が終わる。リドルはこぼれ落ちた涙を拭うと、努めて冷静に言った。
「——ボクだって、こんな話をしに来たのじゃなかった。……ごめん」
「リドル——」
「354番。時間だ、立ちなさい」
受話器を置いて立つ。リドルの追い縋るようなスレートグレーの瞳を、焼きつけようとじっと見つめた。何度も口付けたいと願った唇が、“うそつき”と言う形に動いた気がした。
次にリドルが訪れたのは、その年の冬だった。夕食に極めて簡素な作りのケーキが出されて、もうウィンターホリデーの時期か、と思う。その翌日だった。
「……来るなって言ったよな?」
「前は本当に伝えたいことを伝えられなかったからね。嫌だとしても、聞いてほしいんだ」
今度こそは時間を無駄にするものか、とリドルは意を決して切り出す。
「……キミが、最後に作ったイチゴタルト」
「——え?」
「とても美味しかった。キミが作るイチゴタルトには複数のバリエーションがあって、華美で豪華なものからシンプルなものまで幅広いけれど、あの日のは比較的シンプルなものだったね。どれも絶品だけれど、あれはさっぱりしたムースの層と苺の酸味が調和していて、とても好きな味だった」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、リドル」
予想もしなかった話題に、必死で険しくしていた表情が、どうしても緩んでしまう。
「そんなことを言うために、こんなところまで来たのか」
「最後に食べてほしいって、刑事を介してキミが頼んだんだろう」
リドルはふ、と自嘲するように微笑んだ。
「それを聞いたボクは、あの日以前もお菓子の感想をキミにちゃんと伝えていなかったんじゃないかと思ったんだ」
ひたすらに濃厚なチョコレートケーキも、リンゴの蜜とサクサクしたパイ生地が心地よいアップルパイも、素朴なようでいて工夫を凝らされたクッキーも、四季折々の幸に彩られたタルトも。
「いつでも言えると怠っていたんじゃないか。だってキミがある日突然いなくなるなんて思ってもいなかったんだから」
「……」
トレイは受話器を持っていない方の手で胸をぎゅうと抑えた。突き放せ。突き放さなければ。リドルにこんな寂しそうな顔をさせてまで?
「キミがボクのことを憎んでいるとしても、キミがボクのために心を砕いてくれた事実は無くならない。それを伝えたかった」
それでもやはり前回の面会で言われたことは堪えて、再び面会に行こうかどうか迷っているうちにサマーホリデーは終わってしまった。
「……ごめん。本当に。来るなって言われたのに来たことも、ボクのせいで人を殺めさせたことも。人生を棒に振らせて、ごめん」
「リドル———違う、違うんだ! 謝るのは俺の方だし、俺は本当は、後悔なんかしていないんだ!」
「345番! 声が大きい」
刑務官からの叱責が飛び、トレイは慌てて息を整える。更正の意思がないと取られかねないのもまずかった。
「っ……そりゃあ他にもっといいやり方はあったと思う。でも少なくとも、お前のせいなんかじゃないし、本当は——会えて、嬉しい。すごく」
「……じゃあ、また来ても——」
「——でも、駄目なんだ」
トレイは目を伏せた。
「お前の人生に俺みたいなのがいるのはよくない。お前は自由になるべきだ」
だからもう来るな、と繰り返そうとしたトレイは、次の瞬間それを遮って響いた怒号に思わず受話器を取り落とした。
「っいい加減にしないか!」
顔を真っ赤にして、目に涙を滲ませながらリドルは激昂していた。カッと熱くなった顔も、つり上がった眉も、見開かれた目も、逆立った髪も、何もかもが懐かしく、愛おしい。トレイは一瞬見とれた後、慌てて受話器を持ち直す。
「自由とは、どうしたいかを選べる選択肢があることだ! ならボクは——キミと生きていくことを選びたいんだ!」
「………………ハイ、寮長」
つい昔のように返事してしまう。リドルは少し虚を突かれて、「……キミはもう寮生じゃないだろう」と言い捨てる。
本当は、トレイにはリドルから聞き出したいことが山ほどあった。自分がいなくなった後の学園のこと。リドルがいかにしてホリデーをやり過ごしているのか。バイトとやらは危ないものではないのか。ちゃんと健やかに過ごせていたのか。
「ボクは自分の人生もキミも諦めたくない。キミもどうかキミの人生を諦めないでいてほしい」
「……俺はお前を、待たせていいのか」
「当然だよ」
リドルは悪戯っぽく微笑んだ。
「ねえ、シュークリームのこと、覚えている?」
「覚えているさ。心残りだったんだ」
「キミが出られた時、作ってくれるのを楽しみにしているから」
待っている、いつまでも。と囁かれた声に、トレイは少し泣いた。
それから。
リドルはホリデーの度に刑務所近郊の街に滞在し、面会に訪れた。住み込みのバイトや、帰省の約束を反故にしていることについてトレイが尋ねると、「人を殺めることに比べれば、どうってことなかったよ」と返すのだった。実習などで忙しく、来られない年もあった。そんな時は何通もの手紙を送り、いつもトレイの更正を心待にしていると結ぶのだった。やがてナイトレイブンカレッジを卒業すると、黎明の国の大学に進学した。その折にまた、無理に進路を変えさせてはいないかと少し喧嘩になった。けれどリドルが、その大学の付属のロースクールを目指したいのだと真っ直ぐに語るので、トレイは折れて応援する他なかった。
トレイは淡々と罪を償う日々を過ごした。服役の傍ら高卒認定資格の取得に向けて励み、模範的な態度を維持し続けた。そのかいあって、5年で仮釈放処分となった。塀を出て出所する時、家族とリドルが迎えに来てくれた。思わず立ち尽くしてしまったトレイに、リドルの方から駆け寄って手を取る。お互い言葉が出なくて、暫く無言でじっと見つめあった後、堪えかねてトレイがリドルをきつく抱き締めた。
薔薇の王国には帰らず、黎明の国の社会復帰支援制度を頼り、就職した。リドルの住むアパルトマンで一緒に暮らし始めた。その最初の週で、トレイはシュークリームを焼いたが——かなり腕が鈍っていて、酷い出来だと笑いあった。