ツイステッドワンダーランド/オネスト×ギデル
※なれそめ妄想、絶対「ない」話です。 ※未成年の飲酒・喫煙の描写がありますが、それらを推奨するものではありません。 ※書いた時点でイベント2章でした。
あれはまだ俺がハタチそこそこの頃。“プレイフルランド”の仕事を始める前の話だ。
常にほんのりとマタタビの匂いがする薄暗い店内。従業員も入り浸っている客も大半はネコの獣人属。ステージではシャム猫の双子がバーレスクを演っていて、淫猥な音楽に合わせて豪華な屋敷のセットを小気味良く破壊するパフォーマンスをしていた。俺が居心地悪くもバーカウンターに腰かけていたのは、ここの経営者に仕事をもらっているフリーのチンピラという立場上、遅れるわけにはいかなかったからだ。
「やあ、オネスト。待たせたかな」
「とーんでもございません! 今来たところでさぁ!」
現れたのは店のマネージャーのLだ。この店はヒト属の反社会魔法士のものだが、俺は数えるほどしか会ったことがない。いつもこの、中年のネコを通して指示を出していた。だがそのボスの反社会魔法士はいつも、指示内容や店の雰囲気から悪趣味な存在感を滲ませていた。
「今回はどんなご用で? また“お使い”ですか? 今度は何を運びやしょ?」
「今回は君にふさわしいものを運んでもらいたいんだ。君は以外と非力なようだしな。前回の荷物も少し落としてしまったようだし……」
Lの眼光が悪魔のように鋭くなる。俺が前回の荷物をちょろまかしたと疑っているのか。違法マタタビに用はないし、売りさばく伝手もないというのに。
「へええ? 俺はしっかり、あの人から受け取った荷物を、あちらのシマまで運びましたがねえ?」
「ふうん? それは不思議なことだなあ? Pのやつが手を出しでもしない限りそんなことは……いや、身内を疑うのはよそう。そんな悲しいこと……」
Pというのは、前回俺に荷物を引き渡した時立ち会った恰幅のいいネコの男だ。Lとは組織内での地位を巡って対立関係にある。なるほど、心底俺を疑っているわけではないが、Pを蹴落とすための確証も無いので、ひとまず俺のミスにしてあるということか。たしかに本当に俺がちょろまかしたと思われているのなら、こうしてもう一度仕事を頼まれるどころか、見せしめに痛めつけられて、最悪殺されているだろう。
「……それで、俺にピッタリの荷物っていうのは何なんです?」
「情報だよ」
「情報?」
Lはまた、悪魔のように笑う。
「最近この辺りに新しいマル暴の執行官が来てね……。少し探ってきて欲しいんだ。オトモダチになれそうな相手だといいんだが」
「オトモダチねえ……」
この地域では汚職執行官など珍しくもないし、パイプが作れればLにとってはかなり有利になるだろう。そのためには相手のどんな情報だって欲しいところだ。プロフィール、家族構成、好物、性格、気質、そして弱み……。だが、はたしてそう都合よくことが進むだろうか。向こうだってバカじゃあない。嗅ぎまわっていることがバレれば、最悪そいつがパクられることに……ああ、だから外部の俺を使いたいのか。
「そうそう、手伝いとして、君にも新しいオトモダチをつけてあげよう。ギデル、こっちへおいで」
Lはフロアでずっとちまちま雑用をしていた子猫を呼びつけると、抱き上げてバースツールの膝の上に座らせた。
そいつの存在は、ずっと視界の端に入っていた。俺がここに出入りするようになって約三年程度、ずっと変わらない10歳以下程度に見える姿で、掃除をしたりグラスを片付けたり、客の膝に座らせられたりしていた。その年頃の子供にとって、三年という期間は重い。本来ならもっと手足が伸びたり、顔つきが変わったりしているはずだ。俺だって、10から13といえば着るものがすぐに寸足らずになって大変だった。だがそいつは——ギデルはずっと変わらない。おおかた、ボスの趣味で成長を止められているのだろう。禁制の魔法薬なんかにはそういうものもある。対象の命を削りながら、姿を歪める類いのものが。
俺は長らくギデルのことを無視していた。けれどその時、はじめて真正面からギデルを見た。Lの腕の中でされるがまま。とろんとした瞳でこちらを見ていた。ちゃんと見えているのか疑わしいほどぼんやりと。
「……」
「くだんのマル暴の顔はこの子が知っている。ぜひ連れていってくれ」
写真でもいいだろうにギデルを連れていかせるのは、俺一人を危険に晒すわけではない、身内も差し出しているというポーズか。それにしても、こんな取るに足らないガキ一人しかつけないわけだが。
「この子はいい子だよ。口が堅く、余計なことは言わない」
俺の心中を推し量ってか、Lは取り繕うようにギデルを誉めた。そして、いやらしくこちらの顔色を見て続ける。
「それにオネストのような正直で真面目な若者の仕事振りを見るのは、きっとギデルにもいい勉強になるだろう。少しの間、仕事のついでに面倒を見てやってくれないか?」
「あんたの頼みじゃ、断れませんな……。よろしくな、ギデル」
俺は差し出されるままに、Lの腕からギデルを引き取って膝の上に乗せる。その間もギデルはぐんにゃりとしていて、何もかもがどうでもいいようだった。
「——さて、次は探ってきてほしい内容について話をしようか。ギデルもしっかり聞きなさい」
膝にわざわざガキを乗せたいと思う変態の気持ちなんざわからなかった。だが俺はこの時、体重の重みに不気味さだけでなく、単純な温もりを感じていた。それを気色悪く思う頭を振り払って、今は仕事に集中しようと、落とされる声量に三角の耳をそばだてていた。
***
マル暴の執行官に近づくのは翌日の昼からがいい。それなりに時間はかかるはずだ。だから俺はその晩、ギデルをぼろくて狭い棲家へと連れて帰った。中へ入れてやるなり、ギデルは家の中をきょろきょろと見回す。
「何だ? 何か珍しいもんでもあんのか?」
ギデルは相変わらず一言も口をきかなかった。そこで俺はなるほど、と思い至る。
「飼い主に報告できるもんを探してやがんのか?」
おそらくギデルは俺への監視も兼ねている。荷運びの件に関して、完全に疑いが晴れたわけでは無いのだろう。きっとこの件が終われば、ボスやLに俺のことをペラペラと報告するはずだ。
「……!」
ギデルは目を丸く見開いた。気づかないとでも思ったのだろうか。こんなガキにまで見くびられると、さすがに不愉快になる。
「なあ、本当は喋れるんだろ? ニャーでも何でも言ってみろよ?」
その当時はまだ若いチンピラで、恫喝や暴力というカードをすぐに切る血気があった。自分のそれにはさほど力がないということをまだ完全には自覚できておらず、ちびの子猫をいたぶるのには十分すぎると思っていた。
「……」
肩を強く掴んでもギデルは変わらず、がらんどうの瞳をぱちぱちと瞬かせながらこちらを見つめていた。
「……どうしても喋らない気か?」
返事は何もない。
「……それとも、本当に喋れねえのか?」
それに対する返事も何もない、ギデルは身動ぎひとつしなかった。それほどの忠誠心が、ボスやLに対してあるというのだろうか。この小さな空洞の中に? とてもそうは見えない。そうされるに値する連中でもない。
「……じゃあ、お前のボスにはどうやって報告してるんだ? 魔法で喋らされるのか?」
「!」
その時はじめて、ギデルの瞳に怯えの色が浮かんだ。原始的な苦痛への強い恐怖が。なるほど、相手の情報を引き出す拷問じみた魔法は反社会魔法士の十八番だ。普通、味方に対して使うものではないが。
『口が固い』『余計なことを言わない』から良いというくせして、いざとなれば無理矢理痛めつけて情報を吐かせる。あいつらのやりそうなことだ。ギデルが今求められているのは、目と耳だけなのだろう。成長を止められた身体も、緑の瞳も三角の耳もギデル自身のものではない。そう思えば、ギデルはできる限り喋らずにいることで、ただ一つ残されたギデルのもの——言葉を、守っているのかもしれなかった。
「チッ……悪かったな」
肩から手を離す。ギデルはぽかんとこちらを見上げている。何を考えているのかはわからない。
「……喋れねえのか、喋りたくねえのかはどうでもいい。ちょっとの間だ……まあ、仲良くやろうぜ」
ギデルはにこーっと笑った。押し付けられたようなものだが、初めてできた弟分だと思えば、この間抜け面も無害でかわいいものに見えてきた。そしてそれを脅かそうとしたことへの罪悪感のようなものも芽生え始める。そんな柄じゃないだろうに。 誤魔化すようにソファ代わりのベッドへ腰かけて煙草を吸おうとすると、ギデルはすぐとなりにちょこんと腰掛けてくる。距離感のわからんやつだった。
「……お前も吸うか?」
冗談めかして差し出す。俺が初めて煙草を吸ったのは15歳頃だったか。その時下に着いていた”兄貴分”は、俺がむせるのを見てゲラゲラと笑った。殺伐とした縦社会の中で俺が一人フラフラとしていたのは、思えばそういった小さな不愉快からなる軋轢の積み重ねだった。
ギデルはすんなりと煙草を一本抜き取ると、意外にも慣れた様子で咥えて火をつける。そしてぷかりと、輪っか状の煙を吐いた。
「おっ、やるじゃねえか! ——よし、仕事の前だ、景気づけといくか!」
机の上に出しっぱなしだった酒瓶を不揃いのグラスに傾ける。乾杯して一気に飲み干す。ギデルはひくひくとしゃっくりをしていたので、水道水を汲んで飲ませてやった。
「マル暴は初めてだが、サツをやり込めたことなんかいくらでもあらァ。今回の仕事もさっさと終わらせて、お前の店の経費で豪遊だ!」
ギデルはしゃっくりをしながらも、サツをやり込めた、のくだりで目を見開いた。
「おい、俺がどうやってサツから逃げてきたか気になるか?」
こくこくと頷く。それからしばらく、俺はギデルの無言のリアクションに乗せられるまま武勇伝を語った。
「ギデル、お前聞き上手だな……!」
身振り手振りに目の動き、ギデルは喋らずとも雄弁だった。『ギデルが聞きたがっているから話すのだ』と錯覚しそうになるほどに。俺はその技術への賞賛代わりに、酒や煙草をもっと分けてやる。そしてその日は上機嫌に、一つのベッドで泥酔したまま眠った。そんな夜は初めてだった。
***
「ギデル、お前結構腕っぷし強いな……」
例のマル暴の執行官の調査自体は数日かけて順調に進んでいた。誤算だったのは、他所の組織も同時に動いて情報を探っていたことだ。奴らは俺がほとんど調査を終えた頃になって立ちはだかると、腕ずくで情報を吸い上げようとした。そうすれば、例のマル暴に接触して面が割れるリスクを冒さずに情報だけ手に入れられるからだ。ギデルが不意を突いて背後から殴りかかっていなければ、俺は名も知らぬ、きっと同じような立場のチンピラに締め上げられていただろう。
「少し接触しすぎたか……? 早いとこお前の店に戻って報告して、雲隠れすんぞ!」
ギデルはこくこくと頷く。入り組んだ路地を逃げているとはぐれそうになるので、時折振り返って着いて来ていることを確認した。いつだって逃げる時は一目散で、背後を振り返ったことなど無かったのに。妙にノリが合ったのか、数日行動を共にする中でギデルの存在はしっくりと馴染んでしまっていた。
「ギデルてめえ、ナメた真似してくれたなあ!? ええ!?」
店に入るなり、恰幅のいい中年のネコの男がギデルに詰め寄った。襟首を掴んで持ち上げると、びりびりと空気を震えさせて怒鳴る。ギデルは苦し気に喘ぎながら、また例の心を空洞にするような顔をしていた。
「ま、ま、待ってくださいよ、Pさん! 一体ギデルが何をしたっていうんですか!」
大男は苛立たし気にギデルを壁際へと放り投げる。ギデルはぼろ布のようにぺしゃりと床に打ち付けられた。俺は咄嗟に駆け寄って、ギデルを庇うように抱き起こす。
「よぉ、オネスト……。こいつぁオマエにも関係あることだぜ。このガキ、例のマタタビをちょろまかしてやがった」
俺は驚きとともにギデルの顔を覗き込む。とてもギデルがそんなことをするようには見えない。この数日間俺と行動を共にしていたのに、今になって犯人扱いされるというのも妙な話だ。困惑していると、奥からLがのそのそと現れる。
「待て待て、P。まだそうと決まったわけじゃないだろう?」
「だがL、大事な商品に手を出したかもしれねえやつを放置したとあっちゃあ、他の奴もつけ上がるじゃねえか? 大事なのはな、おイタをするようなやつはうちにゃいらねえってことを全員が思い出すことさ」
「だが冤罪では意味がないだろう? ギデルも帰ってきたことだし、ボスに“お話”してもらえば済む話じゃないか。僕が頼んだ仕事についても聞きたいし……」
「チッ……おいおい、L、ボスの魔力をそんなことに浪費させてえのか? お前はボスの魔力配分に口を出せるほど偉くなったんか?」
本来議題であったはずのギデルは、俺の腕の中でぼんやりとしていた。ああ、これはギデルの話じゃない。中年のネコ二匹の駆け引きだ。Pは横領の罪をギデルに擦り付けて処分したい。Lはそれを暴きたい。そのためにギデルを例の拷問じみた魔法にギデルをかけてでも。きっと誰の話でもよかった。ダンサーのシャム猫たちだってよかったはずだ。たまたまギデルが喋らないガキで、数日留守にしていたからというだけだ。オッサン二匹は低い声で鳴き合っていたが、不意にLが「まだいたのか」という顔でこちらを見る。
「ああ、オネスト。ちょっと今取り込んでいるから、調書を渡して今日はもう帰ってくれないかな?」
「いや、いや、いや! すみませんが報酬の話をしても?」
俺は腹をくくると、余所行きの声を作った。Lはあからさまに顔をしかめる。
「報酬? 心配せずとも先に決めた通りの額をちゃんと渡そうじゃないか。だから今日は……」
「それなんですが。金は半分でいい、ギデルを俺にくれませんかね?」
「……ハァ? 君らしくもないな。情でも移ったのかい?」
「……おい、オネスト。うちのゴミを漁ろうたぁいい度胸じゃねえか」
「こいつをこれ以上ここに置いておくことができないんなら、外に出してしまえばいい。俺に預けてくれれば、今まで通りに……いや、今まで以上に働かせてみせますよ!」
Pはひとまず横領の疑惑を処分できる。Lは今まで通りに俺とギデルを駒として使うことができる。ついでに俺はこれからもギデルと一緒にいられる……いや、この先も仕事のあてができる。悪い提案ではないと思っていたがそれは今にして思えば若造の浅知恵でしかないし、反社会組織の人間は一介のチンピラとまともに交渉なんかしない。緊張の中で無意識に魔力を練りながら、どうか何とかなってくれと祈っていた。長い沈黙の後で、PとLは「ボスに聞いてくるから少し待っていろ」と奥へ下がった。
ギデルは、目を見開いてこちらを見上げている。俺の服の裾を掴んで、何度も首を横に振った。その手に調書を持たせる。二人で成し遂げた仕事だった。
「今のうちに二人でこの調書を持ってずらかるのも手かもな?」
そう冗談めかして耳打ちすると、ギデルはもっと首を横に振った。どんな些事であれ、暴力のもとに集っている連中を敵に回していいことはない。どこまででも追われて殺されるだろう。だからどうにか筋を通せればいいのだが。
「……金は無しだ」
しばらくするとL一人が眉間に皺を寄せて戻ってくるとそう言った。本来の報酬の全額でなら、この聞き上手で多少腕の立つ子猫を売ってくれるらしい。交渉はどうにか成立。俺はニイ、と口角を上げる。
「ギデル、この方に調書をお渡しするんだ」
ギデルもにこーっと笑うと、調書をLに向かって差し出した。
「……君たち、こんな短い間に随分仲良くなったらしいね」
Lは呆れたように笑って、調書を受け取る。内心、Pを潰す機会をフイにされて苛立っているはずだが。
「お望み通り、二人一緒に働いてもらおうじゃないか。僕の知り合いがちょっとした巡業で世界を回っていてね。もう少しすればこの辺りに来るらしいんだ。オネストは口が上手くて見てくれがいいし、ギデルは結構芸達者だろう? ぴったりだと思ってね」
「へ、へえ……いやそんな、俺たちはスターって柄じゃあないんで」
溜飲を下げるかのように、Lは「巡業に売り飛ばしてやろうか」と言外に言った。
「冗談だよ。君たちには、そこのキャスト決めにうちも一枚噛めないか探りを入れて欲しいんだ」
そして言内に言い直したのは、人身売買についての調査だった。確かにそれはマル暴の件のほとぼりが冷めるまで雲隠れしたく、そして金を受け取り損ねた俺にとっては渡りに船で、乗らない選択はなかった。Lの話を聞く俺の隣の椅子で、ギデルはいつかの時よりも熱心に耳を傾けている。
結局のところ、組織にいるのも俺の下にいるのもそう変わりはしないのかもしれない。完全な自由になれたわけではないのだ。だが、果たしてこの世に完全な自由なんてものがあるだろうか。
店を出ると、ギデルは俺のすぐ後ろを着いてきた。それから数年、ずっと一緒にいる。“巡業”の仕事も終わって、いくつもの仕事をして、“プレイフルランド”の仕事にありついた今だって、ギデルは俺の傍にいる。何度か自由にしてやれるタイミングもあいつが逃げられるタイミングもあったはずだが、俺はそうしてやらなかったし、あいつもそうはしなかった。ギデルがいない状態なんて、考えられなくなっていた。
相変わらず喋れないのか喋らないのかはわからない。何を考えているのかもわからない。ついでに成長しない理由もわからない。だがそれでよかった。ギデルが俺の寝床に潜り込んで来るとき、しゃっくりをあげながらも酒を何杯も飲む時、煙草の煙を吐く時、ちゃっかり一番いい飯を盗ろうとする時、うなずく時、笑う時、項垂れる時、俺はギデルの中に何かが詰まっているのを感じている。俺の知らない何かでいい。詰まってさえいれば、それはがらんどうじゃないんだから。ただそれらは、抱き締めるとギデルの肌越しに熱を持っているような気がした。