ただ、足るを知る頬

ツイステッドワンダーランド/トレイクローバー×リドル・ローズハート

「トレリドキスの格言企画」に参加させていただいた作品です。


その日のリドルのおやつはクリームをたっぷりと挟んだシュークリームだった。かために仕立てられたクリームはそれ自体食べ応えがあって、くどくなりすぎないようにヨーグルトの酸味も利かせてさっぱりとした味わいに。少し挟み込んだ初夏の甘酸っぱいフルーツとの相性も抜群だ。シュー生地は今回はクリームを食べるための器、リドルの手を汚さないためのカトラリーの役割を担っている。薄手で主張しすぎないが、しっかりと焼き上げて最低限の強度を。今の気候に合わせるとより冷たいアイスクリームも選択肢にはあったが、そうではなくシュークリームを選んだのは、机に向かうリドルの手を急かしたり止めさせたくなかったからだ。リドルはいつだって何かに打ち込んでいる。最近は薔薇の王国で大きな法改正の動きがあって、リドルは今それを追うのに夢中なのだ。スイーツはリドルの日々を彩るために存在しているのであって、その逆ではない。

「リドル、お茶の時間だぞ」

「トレイ! いつもありがとう。今日のおやつも楽しみにしていたんだ」

だがそんなトレイの思惑とは裏腹に、リドルはいつだってトレイのお菓子に真っ向から向き合って喜ぶ。片手間にすることなどけしてない。その素直さはオーバーブロットの一件の後から増していて、恋人同士になった今では満面の笑みを見せることに少しも照れがない。それはかえってトレイを少し面映ゆいような気持ちにさせたが、トレイはにこやかな笑みを崩さなかった。机の上に広げられた新聞記事などの資料に視線をやる。

「期末試験も終わったばかりなのに、頑張っててすごいな」

「長年実態に即していなかった部分にやっとメスが入ってね。興味を引かれてしょうがないよ」

「息抜きや休憩も大事だぞ?」

「だからこのお茶の時間が、ボクにとっては何よりも大切なんだ」

トレイはリドルの向上心を尊敬しているし、愛している。けれど時折、一抹の心配を覚える。学ぶことそのものを楽しんでいるよう見える今は、一番であらねばという焦燥に駆られていたころよりは遥かにマシだ。しかし何もかも過不足なく満ち足りているという感覚を、リドルは知っているのだろうか。

せめてお茶の時間、甘味を食べているときは、満ち足りていてほしい。そんなトレイの願いが余計な心配であることは、シュークリームにかぶりつくリドルの笑顔、ゆっくり味わうように動く頬を見ていれば疑うべくもないのだが。

「……」

「どうしたの? トレイ」

「いや、何でもないよ。——それより、ここ」

トレイは自分の右頬を指差す。きょとんとした顔でトレイを見つめ返すリドル。その頬に、わずかにクリームがついていた。たっぷりのクリームは、リドルの小さな口には体積が大きすぎたらしい。

「恥ずかしいな……どう? 取れた?」

「さすがにクリームを詰めすぎたかもな。とってやるからじっとしてろ」

微妙に拭いきれないクリームを、トレイは人差し指で拭う。それをぺろりと舐め取ってしまうと、リドルの珍しい失態はまるで無かったことのようになった。

(思いきったものを作りすぎたな)

クリームのたっぷり挟まったシュークリームは、見た目にも面白くインパクトがあり、いい考えだと思っていた。しかしトレイは、今それを失敗と見なしつつある。

いつも何か“より良い”状態を目指しているように見えるリドルと違いトレイは、現在の日々に概ね満足感を感じている。リドルと想いが通じ合い、頼れる親友や騒がしいものの面白い後輩もいて、学校生活でもそれなりの評価を維持している日々に。現状の機微を愛し、逸脱しない範囲で凝るのがトレイの基本方針だ。今より良いものは、望んでいない。そんな今を守っていく上で、クリームのみっしり詰まったシュークリームは……少しはみ出している気がする。これと同じシュークリームが、再び登場することはおそらくもうないだろう。

しかしそんなトレイの思考をよそに、リドルは真っ赤になって目を見開く。

「い、いくらこのクリームが絶品だからって舐めることないじゃないか! お行儀が悪いよ!」

「……そんなに美味かったか?」

「キミのお菓子はいつも最高だけれどね。これもぜひまた食べたいと思うよ」

「それは……よかった」

現状への満足ゆえに追い出そうとしていたものを受け止めてくれたその頬が、トレイは愛おしくてたまらなくなる。もうとっくに何もついていない頬を、トレイはもう一度親指で撫でた。

「キスしても?」

「……いいよ」

未だに少し照れながら、リドルは首を少し上向ける。その両頬に一度ずつ、トレイは柔らかいキスをした。名前を呼んで好きだよ、と囁くと、何かを噛み締めるように頷いた。

「ボクからもキミにキスをしたい。頬をお出し」

「はい、どうぞ」

今度はトレイの方から頬を近づける。少し尖らせた唇が、トレイの両頬に強く押し当てられた。

「……キミがボクを好きで。ボクがキミを好きで。美味しいお菓子といい紅茶があって。——これでいいんだ。これがいいんだよ、トレイ」

リドルが不意にそんな感慨を述べたのは、トレイの胸中を見抜いてのことか、それとも幸福な時間を共有しているなかで自然に言葉が出たのか。トレイは一瞬ほうけていたが、すぐに柔らかい笑みを返した。

頬を緩ませた二人は、そのまましばらく、見つめ合っていた。