打ち首の上塗り(古畑任三郎VSトレイ・クローバー) - 11/12

【9】

 

「どうぞ」
フルハタの前に、紅茶とイチゴタルトの1ピースが置かれた。ハーツラビュルのキッチンの冷蔵庫から取り出されたそれは、キッチンの隅のテーブルにかけたフルハタへとサーブされる。
「おおっ、これ、美味しそうだなあと思っていたんですよぉ——健康診断で止められてるんですがぁ、いやぁ、ははは、これはまあいいでしょう」
フルハタは上機嫌でフォークを口許に運び、満足げにうまい、うまいと舌鼓を打つ。
「クローバーさん、あなたは実に素晴らしいパティシエだ——ですが、殺人者としては——甘いですねえ」
「……俺を犯人扱いする前に、フルハタさん、あなたの推理を聞きたい」
トレイはフルハタの隣の椅子へかけ、向き直った。
「いいでしょう——ダウトさんを殺したあなたは、ユニーク魔法でダウトさんに成り代わってバスケットボール部に出た——違いますか?」
「俺は大食堂のキッチンにいましたよ」
「搬入用のエレベーターで出入りしたのでしょう。作業する気配がするよう、モップに魔法をかけましたね」
かつてとある魔法使いの弟子が、箒を自分の代わりに働かせようと魔法をかけて、失敗した。そんな逸話がある。ナイトレイブンカレッジの優秀な3年生ともなればその轍は踏まずに、あたかも作業をしているような音を立てさせることは可能だろう。
「誰かが入ってきても誤魔化せるよう、他にも色々手を打ったようですが、結局誰も入って来なかった。勿体ないことです——」
「日頃の行いかな。俺がやったという仮定が正しければ、ですが」
「不在を誤魔化すにしても、バスケットボール部に参加するにしても、あなたの薔薇を塗ろうドゥードゥル・スートなら造作もないことでしょう」
「買いかぶりですよ。本当に大した魔法じゃないし、似たようなことができるヤツは探せばいると思いますよ」
広い学校ですから、とトレイはずり落ちた眼鏡を直しながら苦笑した。
「あなたの言う通り、俺には可能だったかもしれない。けど、俺が“やった”という証拠はあるんですか?」
「その話をする前に、あなたの“目的”についてお話ししましょう」
「“目的”?」
「あなたがバスケットボール部に参加したのは、ご自身のアリバイためだけではありませんね——本当にご自身のことだけを考えていたのなら、わざわざマジ……なんでしたっけ? すみませぇん、お若い方の文化には疎くて」
「マジカメのことですか?」
「そうそう、“マジカメ”の投稿です——それを使ってローズハートさんを遠ざけることは、なかったはずですぅ——」
「回りくどいですね、それも俺がやったという証拠は?」
「焦らないでください——あなたがローズハートさんをひどく大事にされているのは、今日の聞き込みでいやというほどわかりました。ローズハートさんとダウトさんの悶着の後駆けつけたあなたは、ローズハートさんの部屋で、ローズハートさんに害を成そうとしたダウトさんを殺した——けれど、万に一つもローズハートさんに容疑がかかってはいけなかった」
そのために、マジカメ中毒のケイトならばリドルを見つけるだろうと見越して、リドルを探させ、一緒に行動させた。その間、ダウトの生を偽装することで、より強固なアリバイを作ろうとした。トレイ自身のアリバイは、そのついでに過ぎない。そうフルハタは指摘した。
「その上あなたは、首を絞めた後に、わざわざ刃物を深く突き刺した——人間の首の骨というのは、なかなか丈夫なもので……それは失礼ながら、ローズハートさんの細腕では無理だという結論に達したでしょう」
「あいつはああ見えて結構強いですよ」
トレイはにやっと笑う。フルハタもそれを受けて、「刺した理由はともかく」とにこやかに推理を続けた。
「首のナイフに関して、あなたは、余計なことをしましたね」
「というと?」
「あなたはわざわざ、ナイフをすり替えに来たでしょう? 談話室を抜け出して、鑑識係に成り済まして」
「そんな、馬鹿な——」
「ええ、非常に大胆なことです。私が見逃していれば、あなたの証拠は完全に絶たれたでしょう——私の推測ですが、あなた最初は完全に一人で出頭するつもりだったんじゃないですか? それが、急に、自分の日常も守りたくなった——普通の殺人者みたいに」
トレイの顔から笑みが消えた。
「あなたは非常に優秀でした——突発的な犯行と見受けられますが、仰る通りほとんど証拠がない。しかし——まるで後づけのようにボロを出しているんです。私がローズハートさんを疑った瞬間にこのタルトを出してきたのが、最後の証拠です——あなた、昨日作ったのはシュークリームだって言いましたよね——じゃあ、このタルトは一体いつ作ったんですか?」
「……作り置き、ですよ。俺はそれほど勤勉な男じゃないんです」
「では、あなたの体と、魔法石に蓄積したブロットを調べさせていただいてもよろしいですか? 容疑者は全員魔法石を取り上げられてぐっすりと休んだはず、ブロットが蓄積しているのは——犯人しかあり得ない」
「…………」
警察の検査では、誤魔化しは通じませんよ、とフルハタが静かに告げる。
トレイは、観念して寮服のポケットからマジカルペンを取り出した。そこには癒えきらなかったブロットが黒く滲んでいた。制服の胸ポケットに差している間、尚も上塗りで濁りを誤魔化していたのだろう。
「クローバーさん、あなた優秀すぎた——“上塗り”したみたいに証拠を消すなんて、あなたのユニーク魔法じゃないとできません——でも、上塗りに上塗りを重ねれば、綻びが出るのは当然のことです」
「ハハ、敵わないな……でもフルハタさん、ひとつだけ思い違いをしてますね」
「ふぅん?」
「俺があいつの首を刺したのは——部屋に入って一目で、リドルのせいじゃないってわかるようにしたかったんです」
万に一つも、ほんの一瞬でも、後になればわかることだとしても、『人を殺めてしまったかもしれない』という恐れを抱かせたくなかった。
トレイはキッチンの湾曲した戸棚の一つから、一本のパレットナイフを取り出した。少し長い、製菓用のパレットナイフで、キッチンペーパーにくるまれてはいるが、べっとりと血が染み出していた。
「そんなところに隠されていたんですねぇ」
「キッチンを取り仕切っていると、秘密の隠し場所がそれなりにできるもんです」
トレイはもう一つ、寮服のズボンのポケットから小さなボタンを取り出した。リドルの寮服のブラウスのボタンだ。
あの場でどんなことが起こったのか、トレイにはすぐわかってしまったが、それを警察にすら想像されたくなくて、持ち去ってしまったものだ。
「本当にリドルのために、というのなら、このナイフとボタンを持って、黙って一人で自首していたはずだ。結局俺は、あいつの隣にいたいって、思ってしまったんです。全然あいつのことを大事になんて、できていない」
「ダウトさんは、そうまでして殺したい相手だったんですか——?」
「どうでしょうか——確かに突発的なことでしたが……リドルにとって危険な存在だったのは間違いないので……すみません、やっぱりあまり後悔はしてないな……」
そうですか——とフルハタは微笑んで、フォークを置いた。テーブルの上のイチゴタルトと紅茶は、すっかりフルハタの胃に納められたようだった。
「……フルハタさん、一つだけいいですか?」
「なんでしょう——」
「ケーキの残りが冷蔵庫にあるので——どうか食べてほしいと、早めにリドルに伝えてもらえませんか。人殺しの作ったケーキなんて、気分悪いだろうが……でも、最後に食べて欲しい、と」
「わかりました——ですが、クローバーさん」
「……はい」
「おそらくぅ——あなたが思っているより、ローズハートさんもあなたを、大事にされていますよ」
「……どうして」
「ローズハートさんは、ずっとあなたを探していたんですから」
行きましょうか、と立ち上がったフルハタに続いて、トレイはハーツラビュルを出た。その表情は、俯いた帽子の陰に覆われていた。