打ち首の上塗り(古畑任三郎VSトレイ・クローバー) - 7/12

【5】

 

寮長室にはもう誰もいない。ただ、床に貼られた人型の白いテープだけが存在感を放っていた。
戸口に立つ小男が、フルハタに会釈をした。
「お疲れさまです、フルハタさん。——そちらは?」
「第一発見者のお二人だよ——ローズハートさん、クローバーさん、こちらは部下のサイオンジです」
「どうも、はじめまして——」
サイオンジは、二人の後から入ったイマイズミの首輪を一瞥すると、すぐに目をそらして二人と握手を交わした。
「はじめまして、魔法執行官刑事のサイオンジと申します」
「な、何とか言ってくれよサイオンジくぅん!」
「すみません、イマイズミさんが情けないのはいつものことですので流してしまいました」
サイオンジはほとんど表情を動かさず、「どうしたんですか」と聞き直した。
「魔法を封じる魔法……? それをイマイズミさんにかけて意味があるんですか?」
「ボクも魔法士でない人間にかけたのは初めてですが……結局単なる首輪にしかならないようですね」
「そもそも、魔法士じゃなくてもかかりはするんだな」
「……魔法士じゃないとしても魔力がないとは限らないから——オンボロ寮の監督生のように本当に一切魔力がない人間ならかかりすらしないかもしれないけど」
対人を前提としているリドルのユニーク魔法は、編み出されてから数年経ってなお、検証の余地がある。リドル自身、まだ把握していない部分があるのなら——あるいは、“あった”のなら、それは今回の事件に何か関わりがあるかもしれない。フルハタは目を細めた。
「——どう、イマイズミくん? 苦しい?」
「つけられた時はぐえってなりましたけど、今は丁度いいです!」
「あ、そお——ローズハートさん、今このイマイズミの首を絞めることは可能ですか?」
えっ、とイマイズミの目が見開かれる。リドルは首を横に振った。
「不可能ですね。もうその首輪はほとんどボクからは切り離されている」
「外すときはぁ?」
「外すときはいつも鍵をイメージした魔力をぶつけることで相殺しています」
「つまりぃ——首輪をかけられた相手を感知するような仕組みもない、ということでしょうか? 例えば離れたところでイマイズミが死んだらわかります?」
「わかりませんね」
「わかるかわからないかがわからない、ということだろ、リドル? だって首輪をつけてる間に対象が死んだことなんてなかったんだから」
冷静に断言するリドルに対し、トレイがどこか必死な様子で補足した。しかしリドルは、再び首を横に振る。
「フルハタさん、あなたには言わなければならないでしょう。事件が起こる直前、16時前だったかと思います。放課後に彼がこの部屋を訪れて、ボクは彼——ランスロット・ダウトと口論になりました。それで——ユニーク魔法を使ったんです」
「リドルッ……!?」
トレイが目を見開いて制止するが、リドルは、授業で指されて答えるときのようにハッキリと証言を続けた。
「それでも彼が掴みかかってきたので、突き飛ばしたら頭を打ったようで——ボクが殺してしまった、と思ったんです。それで慌てて部屋を出て」
「んんん……ちょっと待ってください。殺したと思ったのに鍵はかけなかったんですかぁ?」
「元々、寮では施錠する習慣がないんですよ」
話の腰を折ったフルハタに、トレイが補足した。立て籠りや閉じ込め、連れ込みなどのトラブルを防止する観点。個々人の授業の選択によって生じた自習時間、いわゆる“空きコマ”で、相部屋のうち誰かが部屋から閉め出されないようにという観点。そして相部屋でも個室でも条件はなるべく同じであるべきという観点。それらのために、寮生は部屋の鍵を持てない。扉には錠があり、内側からは施錠できるが、鍵は職員室で保管されていた。ちなみに、個人の貴重品や私物は、支給された鍵付きの金庫やチェストで守られている。他の寮では鍵をこっそり複製したり、別の鍵をつけたりする者もいるが、こと厳格なハーツラビュルでは、勿論それは許されない。
「ですが、仮に見つかって糾弾されたとしても——ボクが殺したのだから仕方がない、という気持ちもありました」
「なるほどぉ……突き飛ばしたのはどの辺りでしたか?」
「ここです」
リドルが指差したのは、ベッドと机の間のようなところだ。白いテープからは離れており、確かにそこからは被害者の毛髪が検出されていた。
「フルハタさん、あなたはボクが自白をしていると勘違いなさっておいでですか」
リドルは迷いなく、真っ直ぐにフルハタを見つめた。
「確かにボクと彼の間には一悶着あり、ボクは結果として彼に暴力を振るった——けれど、“ボクは殺していない”。ハートの女王に誓って」
フルハタは、目尻に笑い皺を作ってにまにまと笑った。
トレイは、リドルの気丈な表情に心底安堵した様子で、眉間の皺を緩めた。
「恐らく遺体を検分すれば死因が打撲ではないってわかるでしょう。それに、フルハタさん、あいつはその後、16時半から18時頃まで部活で体育館にいたんですよね?」
「ええ、ええ」
「リドル、お前はその時間ずっとケイトと一緒にいたんだろう?」
「……そうだね。キミを探し回って学園内を回っていたから、他にも色々な人に会った、と思う」
「先程から度々おっしゃっているケイトさんというのは、ハーツラビュル3年生のケイト・ダイヤモンドさんですか?」
フルハタはクロウリーから受け取った生徒名鑑を捲りながら言った。
「ええ。彼もトレイと同じように、ボクを支えてくれています。……そういえば」
リドルは、ふと思い立った。
「鏡舎を出てすぐ、ケイトがボクを『見つけた』と言ったんです。どうしたんだい、と聞いたら、探しているのはボクの側のはずだって——そんなはずはないのに」
「なるほど——」
ところで、とフルハタは突然トレイに向き直った。
「クローバーさんは昨日何を?」
「俺ですか? 俺は16頃から18時すぎまで、学校の大食堂のキッチンで料理をしていました」
「あのー、この寮にも素敵なキッチンがありますよねぇ? なぜ、わざわざ、学校のキッチンを使われたんですか?」
「サイエンス部の活動の一環として、だったので」
「なるほど……何を作ってたんですぅ?」
「……シュークリームを」
「それはすごぉい! よくされるんですか?料理を」
「トレイが作るお菓子は絶品ですよ。——ボクも食べたかったな、トレイのシュークリーム」
「昨日は結局全部失敗したからな……また今度作るよ」
「失敗したのに2時間以上も、はあ~、努力家でいらっしゃる」
「どうしても上手く膨らまなかったんで、ついムキになって」
「キミのユニーク魔法ならどうにかできたんじゃないのかい?」
「そりゃできるだろうけど、初めて作るんだから自力で成功させたいだろ」
「クローバーさんもユニーク魔法をお持ちで?」
笑い皺を残したまま、フルハタの目がわずかに鋭くなる。
「ええ、まあ——ほんの少しの間だけ、“要素”を上書きすることができるんです」
「なるほどぉ——じゃあ、イマイズミの外見を上書きすることも?」
「……できると思います」
「やってみせてくださぁい」
「…………いいですよ、薔薇を塗ろうドゥードゥル・スートッ」
その瞬間、イマイズミの頭髪は背中まで波打つ豊かなブロンドになっていた。その光の反射にか、魔法を使ったトレイ自身も目をぎゅっとつむる。
「わァッ」
「ンフフ、これはすぅごい」
「いや、普段はここまででは……イマイズミさんはなんというか……“筆が乗る”?」
「ああ、それはボクも思った——魔法にかかりやすい人というのはいるらしいけれど……」
魔法はイマジネーションである。よくも悪くも素直なイマイズミは、魔法にかかりやすいようで、それもフルハタがイマイズミを連れ歩く理由の一つであった。容疑者がユニーク魔法をわざとスケールダウンするような時でも、イマイズミを試験紙にして実力が測れる。
「ちょっと色だけ変えるつもりだったんだけどな……本当にちゃちな魔法なんですよ」
「いやあ、ご謙遜を——」
本当にすごい、大したものですとフルハタはトレイとイマイズミを交互に見る。
イマイズミはなぜか照れてはにかみながら、金髪をバサバサと揺らした。それが額に当たってサイオンジが嫌そうな顔をする。
「聞きたかったことは以上です。非常に協力的で、大変助かりました——他の生徒さんたちもこうだといいんですがね」
イマイズミを伴って、フルハタは寮長室を出る。ふと、振り返って、あれえ、ととぼけた声を出した。
「すみません、最後にひとつだけ——ローズハートさん、ブラウスのボタンをどうされたんです?」
白いフリルブラウスの襟元、王冠を模したブローチに隠れているが、一つボタンが欠けていた。
「……昨日ランスロットと揉めた時に取れてしまったんです。ブローチは拾ったのですが、慌てていたもので、ボタンは探せませんでした」
「やれやれ、寮服はオーダーだから、ボタンを取り寄せるしかないな。リドル、俺が手配しておくよ」
「ありがとう、トレイ」
トレイの台詞を聞いたフルハタは、目を伏せ、何事か頷いた。
「いやあ、長々と引き留めてすみません——午後の授業もあるでしょうにねえ。あ、イマイズミの首輪を取ってやってもらっても?」
「……失礼、すっかり忘れていました」