打ち首の上塗り(古畑任三郎VSトレイ・クローバー) - 8/12

【6】

 

フルハタはハーツラビュル寮のキッチンを物色していた。複数鎮座する大型の冷蔵庫のうち一つには、様々な食材が雑多に詰め込まれている。包装にアルファベットやトランプの柄が油性ペンで書き込まれているものが多く、寮生たちの私物であることがうかがえた。
「名前書かないと勝手に食べられちゃうんでしょうかねえ」
「まあそうだろうねえ」
イマイズミの雑談に生返事をして、フルハタは別の冷蔵庫を開ける。こちらはきっちりと整頓されており、個人名が記載されてないことから寮全体の共有物を入れるものらしい。その中に、4号のタルトが一つ冷蔵されている。整然と並べられたイチゴと艶やかなイチゴジャムの層の下に、レアチーズだろうか、ムース状の層を覗かせた、シンプルながらも美しいタルトだった。6等分にカットされた状態で、ガラスのカバーをかけられている。
フルハタが冷蔵庫を閉じたその時、スマホが震えた。検死結果が出た、とサイオンジからの連絡だった。
直接の死因はやはり頚部からの失血死だが、うっ血など絞殺の特徴も見られる。一度首を絞めて気絶させ、その上で止めを刺したという見方が有力のようだった。
しかし、問題は押収されたパレットナイフだ。指紋はおろか血液反応すら出なかったという。何の変哲もない、購買部で全く同じものが売られている絵画用のパレットナイフで、そもそも刃渡りが喉笛に突き刺さるほど長くはない。
証拠品をすり替えられた、としか考えられない。
「——やられた」
ッポン、と口の中で柔らかい舌打ちを一つするフルハタの脳裏に浮かんだのは、あの妙な鑑識官だった。現場であれだけのポカをしておいて、やけに印象が薄い。
「どう思う、イマイズミくん」
「何がですか?」
「いつまでもバサバサやってるんじゃないよ」
振り向き様に金髪をはためかせたイマイズミの前髪をかきあげ、普段はあらわになっている額をべしりとはたいた。丁度その時魔法が解けて、波打つブロンドは跡形もなく消え去る。持続時間は、イマイズミの魔法のかかりやすさを加味して10分程度というところか。
「10分……どう使ったかはともかく、その魔法があれば、できなくもないね」
「クローバーくんを疑ってるんですか、フルハタさん」
「ウーン、まだ決め手に欠ける」
「僕は彼じゃないと思うけどなあ。だっていい子そうじゃないですか?」
「彼は多分嘘つきだよ。さっきボタンをわざわざ“取り寄せる”って言ってたねぇ。警察が見つけている可能性の方がよっぽど高いのに」
なお、寮長室で発見されたもののなかに、リドルのブラウスのボタンはなかった。
「おそらく彼は、あの部屋からボタンが見つからないことを知っていた」
現場で発見された目ぼしいものは全て押収されるとは言え——訊ねることすらしないものだろうか?
「となるとぉ、これも怪しく思えてくる」
フルハタは再び共用冷蔵庫を開いた。
「すごく……美味しそうですね!」
「こんなに上等なお菓子を作れる学生さんが、そう何人もいるかなぁ」
トレイ・クローバーが遺体発見まで寮に帰っていないというのなら、このタルトは彼以外の寮生が作ったものだということになるが。
カットまで済ませて、まるで誰かに供される直前に、アクシデントが発生して急遽冷蔵庫へ仕舞われた——このタルトはそう推察される。そのアクシデントを、ランスロット・ダウト殺害と仮定するのはまだ飛躍の域を出ないが、フルハタはクローバーを疑い始めていた。
フルハタに倣って神妙な顔で苺タルトを見つめるイマイズミの腹がくうぅ、と鳴った。
「私たちも大食堂に行こう」

フルハタがそう言ったのはイマイズミの空腹を慮ったわけではなく、大食堂を調査するためだった。しかし昼休みになったばかりの大食堂は丁度混み始めたところで、シェフゴーストたちが慌ただしく働いており、部外者が立ち入る隙はなく。フルハタとイマイズミは、腹ごしらえを優先することにした。
「イマイズミくん、何取ったの?」
「カルボナーラとオムレツとゆで卵です」
「卵ばっかりだねぇ」
部外者の中年男性二人は明らかに浮いており、生徒たちはざわめきながら距離を取る。食卓は埋まりつつあるのに、フルハタたちの隣は空いていた。そこへ、トレーが一つ静かに置かれる。
「失礼、ムシュー。こちらの席は空いているかな?」
「ああ、どうぞぉ」
特徴的な羽根帽子に金色のおかっぱ頭をした生徒が一人、イマイズミの隣に座った。その特徴的な外見に、フルハタは先程改めて目を通した生徒名鑑を思い出しながら声をかける。
「あのぉ、あなた……ルーク・ハントさんですか?」
「ウィ! 私に何かご用かな、刑事さん?」
「な、なんで——」
「少し観察すればわかることさ。朝からハーツラビュル寮の生徒全員と、他の寮の生徒全員の姿が見えなかったからね。その上で、ホームルームでは何の説明もなかった。説明に困るようなことが起きたのだろうかと推測していたんだ。午前最後の授業が始まる寸前、少しずつ登校し始めていたから耳をそばだてていれば、何か穏やかじゃない話が聞こえてくる——そんな中現れた、鋭い目で辺りを観察する外部の男——もしかしたら、と声をかけてみれば……セ・ヴレ当たりだ!」
戦慄するイマイズミをよそに、フルハタはニヤリと笑って名を名乗った。カマをかけられて引っ掛かっているんじゃないよ、とイマイズミを視線で責めながら。
「あなたもなかなかの観察力だ」
「……本当かな、ランスロットくんが——亡くなったというのは?」
声をひそめて言ったルークに、フルハタは「いずれ広まることとは思っていました」と静かに言った。
「とても残念だ……。噂、それは風や水のように捕らえられないもの……若くて未熟な学舎でのものは特に、ね」
「あなたはダウトさんとは仲が良かったんですか?」
「ノン、クラスも違うし、それほど親密ではなかったね。彼の為人について知りたければ、バスケットボール部で聞くことをお奨めするよ。私が知っていることと言えば、彼のクラスと種族と全長くらいさ。捜査に協力できず、申し訳ない」
「いえいえ、いいんです」
「なんで全長なんか知ってるんだ……?」
首を傾げるイマイズミ。フルハタはデザートのイチゴをスプーンの背で潰しながらはたと言った。
「そういえば、サイエンス部ならクローバーさんと同じですね?」
「その通りだけれど……何か?」
「いや、彼にも捜査に協力してもらったのですが、彼は実に良くできた方ですねぇ。謙虚で、落ち着いていらっしゃる。イマイズミにも爪の垢を煎じて飲ませてやりたいものです」
「ああ、トレイくんの思慮深さや何でも受け止める包容力、いざという時の行動力は私も常日頃感じているよ。同じ副寮長として、見習うべき点や尊敬している点も多い。もっとも、薔薇の騎士シュヴァリエの献身は薔薇の君ロア・ドゥ・ローズへの強い愛情あってのものだ。ムシュー・ゆで卵はムシュー・意地悪を愛しているのかい?」
「あ、愛ィ!?」
「薔薇の騎士――ねぇ」
そのお話、もっと詳しくお聞かせ願えますぅ? と問うフルハタに、ルークは上機嫌で二人の美しい関係性についてエピソードを交えて語って聞かせた。
「愛情や過程はどうでもいい、と彼自身は言うのだけれど、結局のところ薔薇の君ロア・ドゥ・ローズが幸せでさえあればいい、と言うのは、それそのものが強い愛情だと私は思うよ。結局再びイチゴを育てていたわけだしね。きっと彼は何度でもイチゴの苗を植えるのだろう――」
「“育てていた”?」
「? ウィ。つい昨日、収穫したイチゴを持ってキッチンへ向かうトレイくんと、魔法薬学室の前の橋ですれ違ったからね」
「それは何時頃でしたか?」
「15時51分、よく覚えているとも。最後の授業が丁度植物園であったようで、そのまま収穫したのだと言っていたよ」
「それは確かですか? どちらのキッチンへ向かわれましたか?」
「私は記憶力に自信がある方さ! でも、どちらの、とは言っていなかったよ」
淀みなく答えるルークと、なるほど、なるほどぉ、と頷くフルハタ。やがて、フルハタが以上です、と言ってにんまりと笑った。
食事を済ませ、席を立つ直前に、フルハタは人間の行動に疑義を呈する犬のような表情で言った。
「ところで――私、そんなに意地悪に見えますぅ?」
「ムシュー・ゆで卵への愛ある意地悪、存分に堪能させてもらったとも」
いつから、とゾッとするイマイズミは、イマイズミがせっせと剥いたゆで卵をフルハタが一つ横取りしていたことに気がついていなかった。
「ムシュー・意地悪は――薔薇の騎士シュヴァリエを疑っているのかな?」
「んフフフ、そんなことをする人じゃない、と思われますか――?」
ルークは意味深に笑った。
「少なくとも、理由もなくいたずらに生命を冒涜するような男ではないと思っているよ」