帰るべきところ

ツイステッドワンダーランド/トレイ・クローバー×リドル・ローズハート

※若干の6章ネタバレあり
2022年6月11日ワンライ参加作品
お題:おかえり、ただいま

 

保健室で手当てや検査を済ませ、トレイに支えられながら鏡舎をくぐる。
「本当に、無事に帰ってきてくれてよかった。——おかえり、リドル」
白くなった髪を撫でる掌の温度にひどく安心してしまった。その背後には、ハーツラビュルの庭の永遠の新緑が広がっていて、トレイはまるで美しい絵画の一部のようだった。
(——ああ、今のボクが帰る場所は、ここなんだ)
ケイトや、他の寮生たちの声も聞こえる。自分がこの、美しくあたたかい風景の一部なのだということが、嬉しくてたまらなかった。
あとほんの数ヵ月しか存在できない、それこそ絵画のようにかりそめのものだとしても、今自分の魂が帰るべき場所は確かにここだ、と胸が叫んでいる。
「……ただいま、トレイ」
あと何度、共同生活の中でただいまとおかえりを言えるのだろう。噛み締めるように言って、トレイの腕にすがる力を、強くした。

***

スプリングホリデーは、寮の仕事が忙しいからと理由をつけて、帰省せず寮に残った。ほとんどでっち上げのようなもので、電話を切った後は心臓がバクバクしていた。母に嘘偽りを言うなんて、はじめてのことだったから。けれどウィンターホリデーでの“話し合い”——その停滞と苦渋に、つい自分の「帰りたくない」という気持ちを優先させてしまった。
寮に残るのは自分だけで、慌ただしく荷物をまとめて出ていくのを見送るのは不思議な気持ちだった。エースも。デュースも。ケイトも。ハーツラビュル寮生ではないが、今回は監督生とグリムすら、エースとデュースの地元を順に訪ねるらしい。
そして、トレイも。「じゃあ、留守番よろしくな」と、手を振って鏡へ入っていく。
(——トレイの“帰る”場所はここじゃないんだ)
当たり前の事実に、なぜだか胸がちくりと痛む。トレイの帰りを待つ、家族達。いつだったか、イチゴタルトを食べさせてくれた、優しい人達。その中に自分はいない。なぜトレイの後ろ姿にだけ、こんな痛みを感じてしまうのか、わからなかった。

騒がしいのを好んでいるわけではない、と思う。けれど人気がなくなって静まり返った寮で、自室に閉じ籠っているのはどうも落ち着かなくて——あの痛みの正体についてばかり考えてしまいそうで。普段とは違う場所で勉強をしたり、マスターシェフ以来の料理に挑戦したり、意味もなくヴォーパルと遠乗りに行ったりしていた。
その時は談話室で最近買った学術書を読み込んでいた。キイ、と蝶番が鳴る、するはずのない音に勢いよく振り向くと、そこにはいるはずのない男が立っていた。
「ただいま。俺が一番乗りか?」
「トレイ!? キミ、どうして——」
「春は冬と違ってそれほど忙しくないからな。少し早めに帰ってきたんだ」
「少し早めにって、三日しか経っていないよ? ご家族は——」
「顔くらい見せれば十分だろ? それより、何か言うことがあるんじゃないのか?」
頭によぎったのは、昨日の寮のキッチンでの失敗だった。まだ異臭がするだろうか、と少しバツが悪く白状する。
「……キミがいない間に、またイチゴタルトに挑戦して、タルト台を焦がしたんだ。残っていたものだけど、材料を無駄にしてしまった」
「そうか。休み中にまた一緒に挑戦しような。でもそれじゃないんだ」
不正解を笑い飛ばしながら、トレイは談話室のソファのすぐとなりに腰かけてくる。そんなことは何度だってあったのに、心臓がバクバクと高鳴る。何かを期待するように見つめるマスタード色の瞳に、自分でもわかっていなかった答えが、引きずり出された。
「…………ボクは、キミのことが好き」
トレイは大きく目を見開いて、次の瞬間にはぎゅうときつく、痛いほど抱き締めてくる。トレイの当初の問いの正解ではない。けれど痛みの意味としては、そして二人の関係性の行き着くところとしては、この上なく正解だった。
「おかえり、トレイ」
誰もいない談話室で人目を気にせず口づけをしながら、ふと思い当たる。
(あっ、そうか。これか)
帰るところが一つでなくともいい。場所でなくともいい。いつまでもトレイと、ただいまとおかえりを言いあえる存在でありたい。その晩、ベッドの中でそう伝えると、トレイは「プロポーズか?」と笑った。それでもいいな、と思う。