薔薇よさらばと言わないで - 3/8

「俺があんたのこと勝たせてやるからさ、アンタはタルトの練習だけしてろよ!」
「……エースが協力してくれる理由はわかった。デュースとケイトはどうして……?」
リドルはらしくもなく不安げにその二人の表情を覗き上げた。緩かった前寮長を懐かしんでいたケイトは前寮長派に与してもおかしくないし、デュースはどちらの派閥にも属する理由はないにしろリドルに積極的に協力する理由もない。その二人がなぜ、さも当然のようにリドルを支えるのか。
「だってまた厳しくなるのは勘弁してほしいし、前寮長派って言っても本当に前の寮長が戻ってくるわけじゃないじゃんね」
それに、とケイトは緑色の瞳を優しく細めた。
「何の役職もないオレだけどさ、この1年間色々お手伝いはしてきたじゃん。それでリドルくんのこと結構好きになってるんだけど。伝わってなかった?」
「……ケイト」
一緒に頑張ろーね! と八重歯を見せて笑うケイトの隣で、デュースが自分も、と少し声を上擦らせながら拳を握った。
「決闘は挑みましたけど、ローズハート寮長のことは、すげえなって、思ってます!」
「んなこと言って、厳格派に声かけられてたじゃん」
茶々を入れるエースを、デュースはキッと睨んで否定する。
「確かに、“優等生になりたいなら規律を重んじるべきだ”って言われたけど! ……なんか、違うなって思ったんだよ。上手く言えねえけど……ついていけそうにないな、って。それに、俺が尊敬して見習いたいって思うのはローズハート寮長だから。ローズハート寮長に寮長でいてほしいんです」
「……デュース」
「リドルくんが今後も寮長でいるために解決しなきゃいけない問題だけどさ、リドルくん一人で抱え込んだらいけない問題だとも思うよ」
「そうそう、だってこれまでの寮長とは違うんだっていうところを見せて勝たないとじゃん? なら、ぼっちの寮長じゃダメでしょ」
「みんな……」
リドルは、自分を支えてくれようとする眼差しを受けながら、ふと背後に立つ男のことを思った。

トレイは、なぜいつもリドルの味方をしてくれるのだろうか。“副寮長は寮長の味方”だとトレイは言うが、そもそも自分から副寮長に立候補してきたのだ。オーバーブロットに至った時、トレイに否定されたことが最後のトリガーになったことを思い返しては胸が痛む。トレイが傍にいてくれることを自明だと思い過ぎてはいないか。
(……あの時、保健室で)
オーバーブロット後、保健室へ向かった二人がした会話はそう多くなかった。お互い、何から話したものかわからなかったのだ。トレイはただひとすじ涙を流して、生きていてよかったとリドルを抱き締めた。リドルの家の窓が閉ざされてから学園で再会するまでに膨らんだ想いを、伝えるための言葉を二人とも知らなかった。この1年間ずっと傍にいたはずなのに、自分や相手の中にあるものが何なのか考えてこなかったのだ。
『トレイ……』
トレイの腕が解かれるとき、名残惜しくリドルはその名を呼んだ。目があって、トレイの顔がゆっくりと近づいてきて。
『っ、悪いっ……』
『……!?』
唇が重なる寸前で、トレイは慌てて距離をとってしまった。ゆっくり休めよ、と取り繕って保健室を出ていったトレイ。彼が何を考えているのか、自分のことをどう思っているのか。療養中そればかり考えてしまっていたリドルにとって、寮長選挙は寮長の本分に戻るいい機会になるはずだった。逃避先とも言える。けれどそこで、またこの問題について向き合う羽目になるとは。

「……お前らが協力してくれるなら、俺が単独行動しても大丈夫だな」
「——えっ!?」
トレイがそう切り出した時、驚きの声を上げたのはリドルではなかった。リドルは目を見張って、トレイが意図を説明するのを待っていた。不安がるにも、安心しきるにも、材料が足りない。
「ユーディスが睨みをきかせてる。俺が傍にいるのは印象がよくないだろ」
ケイトが持ち帰ったのは動画だけではない。“厳格派”が配布しているビラもあった。その中では、悪しき体制の一つとして、“だらしがない副寮長”についてもびっしりと書き立てられている。
「トレイ」
リドルが振り向くと、トレイは眼鏡の奥のマスタード色の瞳を優しく細めた。
「選挙が終わったら必ず戻ってくるから、信じてくれないか」
即座に頷くことはできなかった。胸の内を、ざあざあと不安が薙ぎ倒す。1年間、当たり前のようにずっと傍にいてくれたトレイが一時的にであれ去ってしまうことへの恐れ。もし、選挙に負けたら、距離を取ったままそれきりになってしまうのではないかという恐れ。
「……わかった」
短くはない沈黙を経てリドルは頷いた。1年間散々付き従わせてきたトレイを、己の中の恐れのみで引き留めることはできなかった。
一方で、あの時に暗闇から自分を呼んでくれた声や、保健室での抱擁が、未遂に終わった口づけが、トレイを信じていたいと思わせた。全面的な恐れだけでも、全面的な信頼だけでもない。リドル自身整理できていない感情がない交ぜになった不安定な状態で、トレイが何かをしようとしているのなら尊重しようと決断した。