薔薇よさらばと言わないで - 4/8

それからリドルの日々は多忙を極めた。リハビリとカウンセリングに、選挙活動、イチゴのタルト作りの練習。通常の授業も抜かりなく。
選挙活動は難航していた。寮生たちの目を見て以前とは違うと訴えても、なかなか反応は芳しくない。その場ではリドルに賛同したように見えても、“厳格派”に利益を説かれたり、“前寮長派”に肩を叩かれるとすぐそちらへ流されてしまうのだと、マジカメを観察しながらケイトが言った。
「流されやすいんだよねえ、みんな……」
「もっとあいつらのネガキャンとかした方がいいんじゃないの?」
「それはしたくない。あくまで正々堂々勝ってわからせなければ意味がないんだ。それに、“厳格派”に関してはその必要はないよ」
「なんで?」
「彼らの政策にはケイトが指摘した穴がある。目先の飴に釣られてそれを見落とすほど、ボクのトランプ兵たちは馬鹿じゃないはずだ。その方針を変えない限り、彼らが勝つことはないだろう」
「そう……でしょうか?」
「確かに、デュースでも気付くレベルの違和感はあるわけだしね」
“優等”と“劣等”を隔てるユーディスの政策は、前者の側にならなければ辛いだけだ。必ず前者の側であれると確信できるのは、よほどの賢者か愚者だけだ。そしてほとんどの寮生たちは、賢者ではないが愚者でもないはずだと、今のリドルはエースの挑発に怒るデュースの横顔を見て思う。
ましてユーディスは、退学や留年の危機を救済する意思は見せていない。この点に関しては、一人の退学者も留年者も出しはしない、というリドルの姿勢と、それをこれまでの一年間で実現したことが、まさしく“実績”として機能していた。
「問題は“前寮長派”だよねえ……2年生がごっそり持ってかれてる」
「そっちこそ、考えフワッフワだし大したことない仲良しグループなんじゃないの?」
「最初はそうだったかもしれない。けれど、ナナの人望——求心力は侮れない。……それは、ボクにはないものだ」
「あ~……」
「ええっと……」
言葉を詰まらせたエースとデュースを、リドルは怒らなかった。
「彼自身に秀でた点はなくとも、知恵を寄せ合うことはできる。ビジョンが不明瞭だからこそ、より良いものを採用できる」
「まーでも、船頭多くして船山に上るっていうかぁ……正直もうそれってハーツラビュルの意味ある? って感じもあるけどね」
賢者でも愚者でもない者たちが、知恵を寄せあって最善の選択肢を導き出す。その最善にハーツラビュル“らしさ”は残るのか。あるいは、大多数の安寧な学園生活を求める寮生たちにとっては、“ハーツラビュルらしさ”など、どうでもいいことなのかもしれない。
「……実を言うと、彼に勝てるか不安になることがある」
「ハァ!? 何弱気になってんスか!?」
「“この学園に来てから今まで、その横暴さを注意してくれるダチの一人も作れなかった”——」
「う!?」
かつて放った言葉を引用されて、エースは目を剥いた。責める意図じゃない、と言うと、リドルは自嘲するように目を伏せた。
「そんなボクと、彼との差は大きいんじゃないか、と思うことがあるよ」
エースの言葉を根に持っているわけではない。ただ胸に刺さったその棘を、抜かずに取っておいて大切に考えているだけなのだ。自分が同級生に対してどう振る舞ってきたか。この一年間、トレイやケイトが何も話そうとしてこなかったわけではないだろうに、自分はそれを捩じ伏せて来たのではなかったか。
「ごめん、士気を削ぐ発言だった。少し別の作業をして、頭を冷やしてくる。明日の寮前演説の原稿が書き上がったから、読んでおいて意見があるなら聞かせてほしい」
寮長室のドアが閉じ、残された3人は肩を落とす。
「リドルくん……。やっぱりトレイくんがいないと、不安になるよね」
「クローバー先輩、なんで“前寮長派”なんかに……」
「あの人がホイホイ裏切るとは思えないけどさあ……」
トレイは今、“前寮長派”に身を置いている。まるで最初から中心人物だったかのように溶け込み、善き先輩としてナナや他の2年生たちと笑いあっていた。それを目の当たりにした当初こそ、エースとデュース、そしてケイトは大いに困惑、憤慨した。けれど、リドルが『トレイにも考えがあるんだろう』と気丈に言うのが痛ましく、リドル陣営の選挙対策本部を去る時に言った“信じてくれ”を疑わない方針を取ることになった。けれど、疑念は残り続ける。きっと“信じる”とは、疑念の一切を黙殺することではなく、その居心地の悪さに耐えながら希望を探して待つことなのだろう。