「これではっきりしただろう。ボクが女王だ。——みんな、ついておいで!」
当選後のスピーチ、寮生全員と目を合わせるような長い長い沈黙の後の第一声がそれだったので、寮生たちは当惑の声を上げた。けれどその直後、リドル・ローズハートがにこりとかつてない柔らかい微笑を浮かべたのを見て即座に静まり返る。大輪の薔薇が咲いたようで、一寮生として群衆に埋もれたナナは、目を奪われていた。
“前寮長派”、ナナ・ティエン=レンが投票の三日前になって辞退し、“前寮長派”の票はほとんどが白票になるかと思われた。
しかしナナは、辞退後もマジカメなどで投票を呼び掛けた。
『折角応援してくれたのに、マジでごめん。やっぱり俺には無理だと思う。でも、俺にガッカリしたその分だけ、これからのハーツラビュルにどうなってほしいかっていう気持ちがあるはずだから。その気持ちをちゃんと投票に反映して欲しい』
浮動票となった旧“前寮長派”に対し、“厳格派”はアピールを逸った。そもそもが、“厳格派”への反発として生じた派閥である。どれだけ慎重になっても足りないくらいだったが、『楽な方へ行こうとする愚か者どもよ』という侮りもあったのだろう。ユーディスの言葉は、旧“前寮長派”たちには届かず、『これならローズハートの方がマシだな』と思わせたに過ぎなかった。
結果として、リドル・ローズハートは得票率八割で、ハーツラビュルの寮長を続けることになったのである。
「とは言え、ボクはこれが消極的な選択であることをよくわかっている。ボクに投票しなかった者は勿論、投票した者たちも、納得ずくとは思っていない。選挙とはそういうものだ」
選挙が終わったそれ以降、当選者に投票した者たちと落選者に投票した者たちとは一緒に生活を続けなければならない。後者が突然消え去ったり、“負けたのだから”とガラリと考えを改めたりすることはあり得ない。また、前者にしても、当選者のまるごと全てに同意して票を投じるわけではない。
「もしも思うところがあるのなら、いつでも声を上げてほしい。次は決闘でも何でも構わない。挑む時は、言いたいことをハッキリと叫んでほしい。——いつだって、ボクは受けて立つ。首をはねる前には、必ず声を聞こうじゃないか」
ユーディスやリドルにとっては信じがたいことだが、多くのハーツラビュル生にとってはハートの女王の法律など本当はどうでもいい。ただ、楽しく安寧な学生生活を求めているだけだ。しかし奮励も熟慮もなく、流されやすいトランプ兵達だが、今回ばかりは彼らなりに考えた。厳格さとは何か、法律を掲げる意味とは何か、ハーツラビュルらしさとは何か、と。彼らの求める学生生活必要なのは、過去ばかり見ているユーディス・クロンダイクやナナ・ティエン=レンなのか、あるいは変わりつつあるリドル・ローズハートなのか、と。
「改めて、もう一度ボクを選んでくれたことに深く感謝しよう。——ありがとう。けして、キミたちを失望させたりはしない」
ハーツラビュルは前へ進んでいく。いたずらに厳格な統治も、それ以前の緩い統治も越えて、前へ進んでいく。
トン、と王笏を模した寮長の杖が演壇を突いた。それは耳をそばだてなければ聞き取れないような小さい音だったが、寮生たちは思わずしゃんと背筋を伸ばした。
真白な寮服は塗られる前の白薔薇のよう、赤い裏地は塗り込めた真紅の薔薇のよう。振り抜かれて先端を向けられた王笏に、寮生たちはアコレードを受けたような錯覚を覚えた。そしてリドル・ローズハートは、口を大きく開けて言った。
「このボクが治めるハーツラビュルでは、一人の留年者も退学者も出さない。ボクはキミたちの誰一人として見捨てない。厳格さをもって、キミたちを守ると誓おう。——厳格であるということは、誠実であるということだ。そして、誠実であるために、キミたちに伝えたいことがある」
160cmの華奢な身体をハイヒールで底上げして、実際の大きさ以上の威厳を溢れさせながら壇上に立つリドルを、寮生たちは固唾をのんで見つめている。もはや誰一人、彼を見上げることを苦痛だとは思わなかった。相変わらずの上から目線だが、こちらを見つめようとするスレートグレーの光が見えていたからだ。
「ボクには、キミたちが必要だ。たった一人で孤独に立った所で、この王冠に何の意味がある? キミたちの一人たりとも手放しはしないから、覚悟をおし。……そして中でも、特別に」
それまでトランプ兵一人一人全てを見据えていたリドルの目が、たった一人を射抜く。その視線の先を、それ以外の数十人が一斉に追う。
そこには、クラブの3が立っている。
「ボクには、トレイ・クローバーが必要だ。ハートの女王がハートの王を必要としたように。それは紛れもなく事実なんだ」