【4】
「それで、ホリデーは最悪だったかしら?」
「……最悪というほどでは、ありませんでした。良くも悪くも、何もなくて……」
「そ。なら上々じゃないの」
わたしはもう彼に作り笑いをするのをやめた。彼も、何も話さないのは変わらないが、幾分正直になった気がする。打ち解けたとか、仲良くなったとかではけしてなく、ただ“慣れた”。
彼の母親は、きっとクローバーのことなんて忘れているだろう。手紙のやり取りをしていると、そんな感触があった。もしくは、そんなありふれた名字の生徒と、あの時我が子を連れ出した子供とを、結びつけていないのか。
厄介な生徒の親と手紙のやり取りをするのは、飼い犬と飼い主が“取ってこい遊び”をするのに似ている。相手が何を望んでいるのかさえわかっていれば、単純なやり取りでしかないし、投げられた棒をこっそりすり替えたってわからない。単純であっても、楽ではないが。
「……この写真はご家族ですか?」
彼は自分のことを話さない代わりに、わたしの話を聞くことにしたらしい。わたしはわたしが大好きなので、わたしの話をするのが好きだ。だから、家族写真を指されても気を悪くせず答える。帰省した時に新しく撮った一枚。最新の美しいわたしと、家族。
「そうよ。かわいい妹と鬱陶しい弟、それから便利な執事」
「妹さんは、ヒト属なんですね」
「わたしと弟は養子なの。別に珍しくもないでしょ」
ローズハートは次に、もっと古いツーショットを指す。もうこの時点で完成されている、ハイスクール時代の美しいわたし。そしてそれに見合うようデコレーションしたわたしのチワワ。わたしは問われるより先に言った。
「それは恋人」
「……随分幼い方に見えますが」
「えぇ? 他種属の歳ってそんなにわからないもの? 彼、わたしより歳上なのよ」
彼はこんな風に美しく装ってツーショットを撮るのを嫌がったので、飾れる出来のものは少し昔のこれしかない。でもその時点で、とっくに成人はしていたはず。
ひとしきり恋人とのなれそめと魅力を語るうち、7分が過ぎた。ローズハートとの面談がこんなに長引くのは初めてだ。
「まったく——アイツが足を洗ってくれてたら、今頃彼をすっかりわたしのものにできたのに!」
おっと、ついヒートアップして口を滑らせたか。でもローズハートは何か考え事をするように目を伏せていて、特に追求はしてこなかった。その代わりに、ぽつりとわたしに質問をする。
「先生は前回、『大人が甘やかす筋合いのある大人は恋人だけ』とおっしゃいましたが」
「あら、言ったかしら?」
「言いました。——その、子供同士でも同じでしょうか?」
あの時は手紙を書き直したくないあまり勢いでものを言ったからそれほど自分自身覚えていないのだけど。それにしても、考えたこともないことを言われて、わたしは少し沈黙した。知らん、どうでもいい。とありのまま答えるのは簡単だが、そう切り捨てるにはローズハートがあまりにも思い悩んだ顔をしていたので。薄情ではあっても無情ではない。子供は嫌いだが、悩みごとが多すぎるのには同情する。
「まずことわっておくと、甘やかすことと支えることとは違うし、筋合いがないからといってそれをしてはいけないというわけでもないわよ。……それで? 子供が甘やかす筋合いのある子供がどういう存在かって?」
本当に質問はそれでいいのか、という意図を込めてローズハートをじっと見つめると、彼はコクンと頷いた。こいつが本当に知りたいのが、一般化された子供と子供の話だとは思えなかったけど。
「わたし思うけど、そもそも子供に他人を甘やかしてる余裕なんて、ないんじゃない」
やはり腑に落ちない顔をしているローズハートに、わたしは優しくも「間違った問いからは間違った答えしか出てこないわよ」と教えてあげる。あんたが本当に聞きたいのは『甘やかし』についてじゃなくて、『恋人』についてだし、あんたを甘やかしてくる相手とそうなれるかどうかでしょ。とまでは教えてあげない。子供同士の恋愛沙汰にマズルを突っ込んでもいいことはない。
「ボクは……」
「そもそも質問する相手を間違えてんじゃないかしら」
わたしってな~んて優しいんでしょ! と学園長じみたことを思う。授業でだってここまでのサービス問題を出してあげたことはない。わたしはただ、ローズハートに“やりやすい優等生”に戻ってほしいし、これ以上わたしを巻き込まないでほしいだけなんだけど。
わたしはいつものお菓子、今回はパルミエをローズハートの手のひらにのせた。ハート型のパイが4枚集まって、店のロゴと同じクローバーの形をしている。
「このお店の、本当に美味しいわね。妹と弟にも喜ばれたわ」
「……知っています」
もう10分経った。わたしはにっこり笑ってローズハートを立たせると、職員室の出口まで送る。9cmのヒールを履いたわたしを見上げる複雑な微笑は、きっと普段同じ角度で見上げている相手にはもっと素直で甘いのだろう。でもわたしには別に見せてくれなくていい。客観的にきれいな顔だとは思うけど子供は子供だし、やっぱりわたしのチワワには敵わない。
「それじゃ、頑張りなさいね、文化祭運営委員長さん」
ひらひらと手を振る。あの赤毛がすっかり見えなくなった後で、わたしは深くため息をついた。先日C組の担任に「本当に大変ですよねえ、しかもそちらは二人分でしょう?」と嫌味を言ったところ、「特に何かしていることはありませんな。そちらはよほど手がかかるようだ」と嫌味を返されてしまったので、ここまでの手間を取らされているのは正真正銘わたしだけである。あの虎野郎、口ぶりだけは紳士ぶってるくせに野獣の本性を隠す気が一切なくて本当にムカつくのよね。一服しないとやってられないわ、とわたしはヒールを鳴らしながら校舎裏の喫煙所へ向かった。