冬眠鼠のオブリビオ - 1/2

ツイステッドワンダーランド/トレイ・クローバー×リドル・ローズハート

※モブとオリジナルユニーク魔法の描写があります

トレリドに巻き込まれるけーくんからしか取れない出汁がある。
一個前のは「トレ先焦ってるゥ~ヘイヘイヘェイ」って感じでしたがこっちは「トレ先ビビってるゥ~ヘイヘイヘェイ」って感じです。ギャグなのかシリアスなのか書いてる本人もわからなくなりました。

着想元はミラキュラスのシーズン3第10話(記憶喪失回)の、記憶喪失状態で「スマホがお互いの写真でいっぱいだから付き合ってるんだ」(付き合ってない)ってなるやつです。
ディズプラが誇る胃が痛くなるアニメ、ラブコメヒーロー地獄変能力バトルこと『ミラキュラス』をよろしくお願いします。

 

その2年生がハーツラビュル寮長たるリドルに相談を持ちかけてきたのは、1週間ほど前のことだ。曰く、

——最近、記憶が抜け落ちてしまうことがあって、特に魔法史の授業では必ずと言っていいほどなんです。このままでは単位を落としてしまいます、寮長、どうかお助け願えませんか。

彼はヤマネの獣人属で、丸い耳をへたらせて、必死にリドルに懇願した。それを受けて原因究明に乗り出したリドルは、彼と一緒に行動することにした。朝食から夕食までを一緒にとって、クラスは違うものの可能な限り同じ授業を受け、授業中は隣に座り、移動教室や登下校に付き添った。約束の時間に現れないことや、朝食の席でいきなり呆けた状態になることもあって、触覚を逆立てる時もあったが、ほんの少し離れていた間に問題が発生していたということで、憐れなほどに平謝りする彼を厳しく咎めることはなかった。オーバーブロット前なら怠慢と決めつけて首をはねていたかもしれない。丸くなったものである。
そしてとうとうそれが未完成のユニーク魔法だと突き止めた。彼は発作的にそれを自分に向けて発動させていたのだ。

「対象の記憶を消すユニーク魔法か……強力だね」
「しばらくすれば記憶は戻るんだろう?」
「でもそうすると記憶を失っていた間のことを忘れてしまうし、元に戻るまでの時間はまちまちだ」
「本当にご迷惑ばかりおかけして……すみません、寮長。副寮長も……」
「そう気にするなよ」
「泣くのはおよし。ボクらがついているんだ、ハーツラビュルからは一人の落第者も出さない。とにかく、魔法を制御する方法を考えるんだ」
「その、首輪をつけてもらうことはできませんか……?」
「ボクのユニーク魔法で無理矢理抑え込むのは簡単だが、それでは結局実技科目で支障が出るじゃないか。それよりも、“発作”に法則性がないか突き止めて、キミ自身が魔法を制御できるようになる方が現実的だ」

リドルはメモ帳を開いた。1週間彼を観察して得られた情報が細かに記されている。
「少なくともランダムではないんだな?」
「と、思う……。トレイン先生の授業では90%以上の確率で起こることが、クルーウェル先生の授業ではほとんど起こっていないからね」
「何かトリガーがあるんじゃないか?」
「その記憶も飛んでしまっていて……」
「……考えていたんだけど、この後キミが発作を起こしたら、ボクのユニーク魔法でキミの魔法が発動する直前に止めるのはどうかな。そうすれば、何がトリガーかわかるかもしれない」
「妙案だな、眠りネズミにジャムってわけだ」
トレイが軽口を言ったそのときだった。
ヤマネが大きく目を見開いた。ひゅっ、と息をのむと、次第に呼吸が荒くなり、肩が小刻みに震える。そして目には涙が滲み出す。
「っ、あ……! あ、ああ……!」
「いきなり発作か!?」
「っ! マズい! 首をはねろオフ・ウィズ・ユアヘッド!!」
魔法と魔法がぶつかり合って、弾けた。

リドルの部屋に駆けつけたケイトが見たのは、首輪をつけて泣きじゃくるヤマネの2年生と——至っていつも通りに見えるリドルとトレイだった。しかし、何か違和感を覚えて固まる。
「キミは、ケイト・ダイヤモンド……だね?」
「へっ?」
まるで初対面のような口ぶりでリドルが言う。
「状況は大体把握してる。ええと、リドル……? がこうなることを見越してスマホにマニュアルを残しておいたんだ。すごいよな?」
スマホのロックは指紋認証で開けた、とトレイが言う。——隣り合ってソファに腰かけたリドルの腰に手を回しながら。
「そこの彼が発作的に記憶喪失の魔法を自分自身にかけてしまうのを、解決しなければならない。ボクは寮長のようだからね。記憶喪失の魔法がいつ彼から他の誰か、例えばボク自身に飛び火してもおかしくないと思ったんだろう。必要な情報は全て揃っているし、恋人の……トレイと一緒なら解決できると思うのだけど、彼がキミを呼ぶってきかないんだ」
「待って待って待って待って!」
ケイトは困惑しながら自分の尻尾を握りしめて啜り泣くヤマネの2年生を見た。“助けてください”と黒目がちな眼を見張って訴えてくる。
「えーと……二人付き合ってるって、マニュアルに書いてあったの?」
「いや?」
「でも、お互いの写真をホーム画面に設定していたから、そういうことだと……」
リドルとトレイがスマホをテーブルに出した。リドルのロック画面は“なんでもない日のパーティー”で撮った集合写真。トレイのロック画面は渾身の出来のいちごタルト。
ロックを解除すると、リドルのスマホにはトレイが、トレイのスマホにはリドルが写し出される。リドルのホーム画面のトレイはロック画面と同じ集合写真をクローズアップしたもので、トレイのホーム画面のリドルはいちごタルトを口に運ぶ様子を隠し撮りしたものだが。
「もしかして……付き合ってない……のかい?」
「付き合ってるよ!」
付き合っていないのである。
リドルの頬が朱に染まる前に、ケイトは被せて叫んだ。この二人が想い合っているのは一部の鈍感、もとい純情な寮生を除いて全員が気づいている事実だ。例えばデュースのような。
特にケイトは、この2人からさんざ相談を受けてきた。今一歩踏み出せない二人に挟まれて、ずっとやきもきしていた。
「これで付き合ってなかったら、俺、相当ヤバイやつだよな」
トレイが苦笑いしながら、リドルの画像で埋め尽くされたアルバムを見せた。そのほとんどは、目線の合わない横顔か隠し撮りだ。
ヤバいやつなのである。
「ボクだってそうさ。メッセージアプリの履歴やSNSを鑑みても、やっぱり付き合っていると考えるのが自然だろうね」
リドルのスマホにも、トレイの写真でいっぱいのアルバムがある。しかしそのほとんどはケイトやエースなど、他の寮生のマジカメからダウンロードしたものである。
(ホーム画面の画像、もっといい画質のあげるよ……って思ったけど、恥ずかしかっただけなんだなあ……)
記憶を失った状態の本人たちですら“付き合っている”と状況判断してしまうのに、事実としては付き合っていないのである。ケイトは冷や汗をかきながら笑った。もう今だけはそういうことにしておいてもいいんじゃないか。そっちの方が面倒ごとが少ないし……ね? とヤマネに目配せをする。徐々に落ち着いてきた彼は、ケイトの意図を察してこくこくと頷いた。
「あとは引き継ぐから、オレもマニュアル読んでいい? 二人はイチャイチャしてなよ~」
「何を言うんだい。寮長として寮生の問題を解決するのが先に決まっているだろう」
「そうだぞ。恋人同士で一つ屋根の下に住んでるんだから、イチャイチャなんて日頃から散々してるはずだ」
してないんだよなあ! いや、じゃああの距離の近さはイチャイチャじゃないのか!? もう何もわからん! 半ば混乱に呑まれそうになりながら、ケイトは自分が呼ばれた理由を噛み締めていた。確かに、自信満々に間違っている人間を一人で相手するのは怖い。まるで違う世界線の二人と話しているみたいだ。
「でも他にどんな影響が出てるかもわからないしさ、休んでなよ! ね!」
ああだこうだとごり押しの説得を重ね、ヤマネ自身にも「ケイト先輩にお話しを聞いてもらいたい」と言わせて、ようやく二人は首を縦に振った。
「……そこまで言うなら。リドル、マニュアルによればケイトは俺たちが強く信頼している存在なんだろ? 何か考えがあるんじゃないか」
「……そうだね。この件はケイトに任せよう。でも何かあったらすぐに言うんだよ」
ケイトのスマホにマニュアルを送ると、リドルはソファを立ってデスクへ移動した。
「ちょっと、休んでなって!」
「スマホにはToDoがたくさんある。これのうち今できるものを片付けておけば、記憶が戻ったあとのボクも助かるはずだ」
「えっ……できるの?」
「どうやらボクは記憶が1週間以上戻らなかったケースを見越してマニュアルを用意しておいたらしい。書類仕事のような後に残る仕事ならできそうだ」
「リドルは普段からこんな感じなのか?」
「う~ん……まあ、そう……かな?」
「頑張り屋なんだな。普段の俺もそういうところが好きなんだろう——俺にも手伝わせてくれないか?」
「頼むよ。ボクにはキミが必要不可欠だったみたいだからね」

ソファにはケイトとヤマネだけが残された。マニュアルと紙のメモ帳にざっと目を通したケイトは、スマホのボイスレコーダーを起動して応接机の上に置く。
「後でリドルくんたちが聞きたがるかもしれないから、一応録音させてもらうね。それで——えっと、記憶喪失の魔法を使っても自分の記憶が消えていないのは、これが初めて?」
「……はい」
「リドルくんは、発作にトリガーがあるって仮説を立てていたみたいなんだけど。何だかわかったかな?」
「おそらく——“猫”と“ジャム”だと思うんです」
「その原因って、心当たりとかある?」
「……笑わないで、聞いていただけますか」
ヤマネは自身の長い尻尾を握った。ナーバスな時にはそうするのが彼の癖らしかった。
「しないよ~」
「その……実家で飼っていた猫の死に目にあえなくて」
内気で引っ込み思案、エレメンタリースクールにも馴染めなかった彼が、帰り道に拾った野良猫。年齢は“推定”でしかなく、若いのか老いているのかわからないまま彼と彼の家族に寄り添って10年生き、そして先日ぱたりと死んだ。幼い頃の彼にとっては唯一の友達であった時期もあり、掛け替えのない存在だったので、その最期を看取れないということは彼の深い傷となった。
「こんなに辛いのなら——初めから出会わなければよかったっ……」
それでも彼は、それを表に出すまいとした。たかがペットロス、と誰かに笑われたら立ち直れない自分を守ろうとした、というのが一つ目の理由。二つ目の理由は、彼がハーツラビュルの2年生としては珍しく、純粋にリドルのことを尊敬していたことにあった。

——同級生なのにすごいなあ、僕とは大違いだ。
そんな風に遠くぼんやりと見上げていたリドルが、オーバーブロット騒動で涙を流すのを見て、彼は思った。
——ローズハート寮長だって、僕と同じ、人間なんだ。
——どうせ自分とは違うなんて思い込むのはやめて、僕も、強くなろうとしてみよう。

「どうしてそうなっちゃうのかなあ。あれを見て変わりたいと思ったんなら、君は君の心を大事にしてあげなきゃじゃない?」
「……本当に、そうですね。もしかしたら僕が尊敬していた寮長は、オーバーブロット以前の寮長の方だったのかもしれません」
後ろめたそうにうつむいたヤマネは、でも、と顔を上げた。
「今は、今の寮長と……副寮長を心から尊敬しています。だって、自分が誰かもわからなくて不安なのに、それでも僕を助けようとして、くれた。どうしてこんなことができるんでしょう」
「……愛のパワーってやつ?」
ケイトはデスクに向かうリドルと、その隣に立って何やら話しているトレイを見た。恐ろしいほど普段通りだが、表情だけはどこか柔らかい。
「お互い何にもわからなくっても、自分のこと知ってて、しかも多分自分のことが大好き、って人が傍にいたから、きっと安心できたんだとオレは思うよ。……ね、あの二人は恋人同士だったこと、忘れちゃうの?」
「……はい」
ケイトは苦い笑みを浮かべ、残念だな、とため息をついた。
「忘れていいことなんて何一つないとかは言えないよ。忘れないと前に進めない人にとって、君の魔法はきっととても優しい魔法になれると思う。でも、こういう時間がなかったことになっちゃうのは悲しいよね」
ヤマネの肩に優しく手を置く。そして囁くような柔らかい声で言った。
「君の猫ちゃんだってそうだよ。君しか知らない素敵な時間がたくさんあったはずなんだから、出会わなかったことになんてしないであげて」
「っはい……!」
「泣いちゃえ泣いちゃえ、そうした方がいい時だってあるよ」
ぽたぽたと首輪に涙の粒が落ちる。それをタオルハンカチで拭ってやりながら、ケイトはふと思い出した。
「そういえば、猫がトリガーなのはわかったんだけど。ジャムはなんで?」
「それは——あの子が、ジャム猫だったからです」
ヤマネはスマホを取り出し、スリープ状態を解除した。ロック画面には白くてふさふさな猫がまどろむ。額にちょこんと薄い黄土色の模様があり、それは確かにリンゴジャムをのせたふかふかの白パンのようだった。

しばらくそうしてアルバムを見た。幸せな思い出と、二度と返らない日々を偲ぶ嗚咽にケイトは黙って耳を傾ける。目を真っ赤にしたヤマネは、数度深く深呼吸をして、「ありがとうございます」と言った。
「もう大丈夫なのかい? 結局あまり力になれなくてすまないね」
「そんな、とんでもないです……!」
「この後も様子を見て、また不安になったらいつでも来てくれよ」
リドルとトレイがデスクから応接コーナーへ戻ってくる。
「このことは忘れてしまうけど、ボクらはけしてキミを見捨てないからね」
「けーくん達もいるよ~! ていうか、同じ部屋の子とかも全然馬鹿にしたりなんかしないと思う!」
「もし心ないことを言われたら、すぐにお言いね」
ありがとうございます、ありがとうございますとペコペコ頭を下げながらヤマネは退室した。
ケイトはボイスレコーダーを切って、そしてアッと声を上げる。なぜ思い至らなかったのだろう。
「あるじゃん! 消えて無くならないもの!」