「いつから魔獅子の傭兵団は託児所になったんだか……ほら、出てきなさい」
「や!」
二歳に満たないという子供は、リムが想像していたよりもすばしっこく、うるさく、警戒心が強く、理屈が通じなかった。今は、来客が来た時の猫のように、戦闘装束を積んだ荷馬車の奥に隠れてしまっている。それを苦心して引きずり出すと、子供はふぎゃあと泣いて、リムの腕の中で大いに暴れた。振り回した腕がぽこぽことリムの肩を打つ。ささやかなダメージにリムは顔をしかめた。
「や! やぁ!」
「猫というより仔獅子か……じゃあずっとここにいますか?」
「やだぁ! ここ、くさい!」
「……ガキが……とりあえずおやつでも食べておとなしくしていてください。あいにく、凝った菓子なんかありませんが」
カエルドーナッツやハニーケーキや宮廷デザートなどここにはない。子供は当初糧食の干したフォレストベリーを警戒したが、半分に切ったものをリムが食べるのを見て、やっとおずおずと口に入れた。
「その警戒は悪くない。傭兵向きかもしれない……なんてな」
親バカじみた過大評価をしてしまい、思わずリムが相好を崩したのにつられて、くしゃくしゃになっていた顔が徐々に緩んでいく。
「……もっとたべる」
「ちょっと待ってください」
子供はこういうものが好きらしい、という記憶をたどってナイフで贖罪のリンゴを剥いてウサギの形にしてやると、子供は手を叩いて喜んだ。その陰りのない笑みに、リムはわずかに安堵する。喜怒哀楽の豊かさや反応の素直さは、虐げられ尽くした子供のものではない。少なくとも、子供にとって最悪の事態ではなさそうだ。
いきなり『子供ができた。結婚はしないが、ちょくちょく通うことになる。基本的には今までと変わらん』と団長が宣言した時、傭兵団は騒然となった。ただでさえ魔獅子の傭兵団団長と軍団メギド72の一員という二つの役柄を背負っている身に、”父親”という三役目は不可能ではないのか。傭兵団を解散して、どこぞの騎士団なり自警団なりに身を落ち着けてしまうのではないのか。『変わらんと言ったら変わらん』表面上イポスは、そう言い張った通り、今までと同じように——それどころか、今まで以上に活動していた。けれど実際のところ、子育ては難航しているらしかった。”女”のところから帰ってくる時、大抵イポスは一人でぐったりと考え込む時間をとった。ある日とうとう『一泊だけ子供を預かってほしい』と頼み込まれた時リムが難色を示しつつも受け入れたのは、前々からそれを案じていたからだった。
「団長のガキが来てるって本当ですか!? 俺も見てえ~!」
「おっ、かわいい! こりゃあ、大きくなったら美人になるぞ!」
「全体的に母親似か? 団長を捕まえたのはどんな女かと思ってたが、逆算すると相当な美女だな」
「口元とか、よーく見ると団長に似てるとこもあるな……子供にゃ縁がなかったが、かわいいもんだ」
一仕事終えた団員たちがどやどやと帰ってきて、野太い声で騒ぎ立てる。子供はぴゃっと跳ね上がると、リムの背後に隠れて、コートに顔を押し付けた。
「や! ……リムしゃ!」
「おっ、お嬢は総伝令が好きか! 男を見る目があるな~!」
「あまり構いすぎないように。ほら、事後処理があるでしょう」
この子供の母親があの盗賊女だということを知っているのはリムだけだ。本音を言えば子供など面倒見のいいセンあたりに押し付けたいところだったが、いつ子供が母親の情報を漏らすかと思うと気が気ではない。
「まったく……とんだ厄介ごとを押し付けてくれたものだ」
イポスは凄腕の傭兵ではあるが、だからといって——だからこそ、必ずしも親に向いてはいない。突然の死を受け入れて足掻いて生きてきた分だけ、『勝手に死ねない』ことが彼の首を精神的に絞めている。そしてそれは女の方も同じなのだろう。あの女は、とても戦場以外の場所で地に足をつけて生きていけるようには見えなかった。というのはリムの偏見だろうか。
この子供がこんなに健やかであるというだけでも、二人の努力がしのばれた。だが、もしかすると限界が近づいているのかもしれない。
「子連れ魔獅子なんて、冗談じゃありませんが……いざとなったら、ずっとここにいますか?」
「や! おうちかえる!」
「はぁ……はいはい、明日になったら帰れますから……」
しかし帰る場所がいきなり失われるのは、ヴァイガルドではよくあることだ。そうなったとき、力ある大人であれば自由に放浪を楽しむことも、新しい場所を見つけることもできるだろう。しかし子供は、流されていることしかできない。せめて流された先でこの子供の臆病さや慎重さがいい方向に作用することをリムは祈った。そして流す大人たちが、子供にとってできる限りの最善を尽くすことを。