誰かと生きていく未来
三番目の子の出産を控えてトレイとリドルが入院などでバタバタしているため、ケイトとエース、デュースは上の子らのシッターとして名乗りを上げた。より正確に言えばしょっちゅう入り浸っているケイトはとっくに夫々と子供たちにとっては家族も同然で、留守を任されているところへエースとデュースが訪ねてきたような形になる。
一番上の子は8歳にもなり生意気なほどしっかりしているが、3歳半ば程度の二番目の子はまだ人見知りしてしまう。エースとデュースが目線を合わせようとしても、ケイトの陰に隠れてもじもじと顔を背けてしまった。
「ありゃー、エーデュースコンビのこと忘れちゃったかな?」
「仕事で忙しくて、少し間が開いちゃいましたから……。それにしてもローズハート寮長にそっくりだ。髪のあの、ハートのアレがないのが物足りなく感じるな」
「前見たときはもっと赤ちゃんだったのに、一気にちっちゃくてしおらしいリドル寮長って感じになってんね~」
「エース! デュース! よく来たね!」
そこへ上の子も玄関へと飛び出してきて、どこかで聞いたような口ぶりで二人を出迎えた。
「覚えててくれるのは嬉しいが、お前の方は相変わらずだな……」
「エース“さん”な。お前、また体積増えた?」
「デュース! 新しい魔法覚えたの、見せてあげようか? 見たいだろう? エースには見せてあげない」
「お前ねえ……」
上の子が満足するまで魔法を見てやって、ほどなくすると上の子が二番目の子を構い倒す形で子供二人で遊ぶようになり、手の空いた大人たちは『おとなのはなし』を始めた。何しろエースもデュースもこのところ仕事が忙しく、何気ない雑談に飢えていたのだ。
大人たちの話題が、ハーツラビュルOBのエースとデュースの癖の強い同級生の近況に移った頃、“かわいがり”に耐えかねたのか二番目の子が、「やー!」と声を上げながらソファに座るケイトの方へとてとてと駆け寄ってきて、両腕を広げた。
「どうしたの、ローリィ? ケーくんのお膝乗る?」
上の子はエースのおみやげの箒に乗った魔法士のおもちゃにもう興味が移って、覚えたての魔法で飛ばすのに熱中している。こくこくとうなずく二番目の子を、ケイトは手慣れた様子で膝に乗せる。
「まったく、本当にケイト先輩びいきなんだから。エーくんの膝も空いてますよ~?」
ぽんぽんと自分の膝を叩くエースに対し、子はぷいとそっぽを向いてしまった。エースとデュースの存在にはだいぶ慣れてきたものの、完全に気を許してはいないといった様子だ。
「それで、何の話だっけ……エースちゃんのヤバい上司の話?」
「いやほら、あいつが結婚したらしいって話ですよ。俺らの同期の——」
「……けっこんって、なーに?」
そっぽを向いたまま、子供が訊ねる。気を許してはいないが構ってはほしいし、知らない物事への好奇心が勝ったらしい。
「結婚って言うのは——」
好き同士で……必ずしも恋愛感情で結びつく関係ばかりではないか。特別な一人と……必ずしも一対一の関係ではないか。一緒に暮らす……別居婚というものもあるか。いざ子供に聞かれると、どう説明するのが最もシンプルでかつ誤りがないか数秒考えこんでしまう。ツイステッドワンダーランドは広く、様々な文化があり、そしてこの子がこの先どんな相手と出会うかは計り知れない。悩んだのを悟られないようにケイトはにっこり笑うと、「大人同士が、この人なら大丈夫って人と一緒に生きていくことだよ。君のパパたちみたいにね」と答えた。子供はふうん、と考え込むと、ケイトの顔をじっと覗き込んで、微笑んだ。そして超特大の爆弾を落とす。
「じゃあねえ、ぼく、おおきくなったら、ケーくんとけっこんする」
「——えっ」
「えっ!?」
「おっと!?」
エースもデュースも最初は面食らったものの、子供がとろけるような笑みでケイトに抱きついたのを見て、すぐにニヤニヤと相好を崩した。
「ローリィ、ダイヤモンド先輩にぞっこんですね」
「ま、トレイ先輩とリドル寮長には黙っててあげますよ……って、泣いてる!? なんで!?」
「?」
ケイトははらはらと落涙していた。それを見られないように、子供をしっかと胸に抱く。
「じ、自分でもわかんないけど……」
それは嘘だった。涙の理由はわかっていた。ケイトの胸のうちには、腕の中の子供にはじめて触れられた時の記憶がよみがえっていた。
ギターのピックより二回り大きい程度の手のひらで、この子はケイトの指を握ったのだ。それは単なる赤ん坊の反射だとわかっていたし、親友たちの二番目の子供だったので、初めてのことでもなかった。しかしその手は、何よりも特別だった。ケイトを“ここ”へと、繋ぎ止めるものだった。何一つ特別な人間関係を持たないと思っていたケイトが、いつしか様々な日々を積み重ねて得ていた居場所へと。
その時感じた特別感を、また感じている。きっとこれからも受け取ることがあるだろう。そうでなくても、確かな温もりがあることをもう知ってしまっている。それが誰にも秘密の涙の理由だった。
「いつか君が本当に結婚するってなったら、その時もオレ、めちゃくちゃ泣くんだろうなぁ……」
「どうしたの? ケイト、どうして泣いているの?」
一人遊びに飽きたのか、一番上の子もひょいとソファに乗り上げる。話の流れを聞いて、「へえ」と淡白に相づちを打って、テーブルの上のお菓子に手を伸ばす。
「……結婚に対する興味、ゼロか?」
「だって、少しも想像できないよ。誰と一緒にいるかなんて」
つんとすました上の子に、デュースははたと思い出したことがあって、少し意地悪気な表情を浮かべる。
「でもそういえば、チャーリーがこのくらいの歳の頃にも似たようなこと言ってたぞ」
「あー、あれね!」
エースもすぐに思い出して、ニヤニヤと子供の頬をつつく。
「え? 私、何か言った?」
「お前さあ、あの時も仕事がキツくてへとへとだったオレとデュースにこう言ったんだよ——」
『わるいおうさまがいるの?』
『そーそー。いじめられてんの』
『ぼ、僕は違うぞ! ちょっとやることが多くて疲れてるだけで……』
『……かわいそうに。おおきくなったら、ふたりともけらいにしてあげるね』
「……あはっ、言うね~!」
「言ったかもしれないけど……そんな子供のときのこと、覚えてないよ」
「今だって子供だろ!」
8歳から見た3、4歳時点というのも、遥かむかしのことらしい。ではきっと、今日のことも子供たちは瞬く間に忘れてしまうのだろう。だから、大人は憶えていよう。ケイトはひっそりと、そう誓った。