吟遊詩人と小さな騎士王
「ボンジュール、小さな騎士の君! ご機嫌いかがかな?」
「……ルーク!? もしかして今日のカメラマンって……」
庭園の木の上に寝そべって足をぶらぶらとさせている子供に、ルークは高らかに声をかける。子供は跳ね起きて、するすると幹を降りてきた。器用にも、レンタルのドレスに穴や汚れはない。だが、魔法で伸ばされた髪は、くしゃくしゃにもつれてしまっていた。
「ふふ、その通り! 私だよ。12歳の君はすぐにいなくなってしまう……。その記念すべき姿を写真にとらえる大役を任せられたこと、実に光栄だ」
「すぐいなくなる、ね……。だったらなおさら、こんならしくない格好はごめんだよ」
そんなことより! と子供は瞳を輝かせる。
「また冒険の話を聞かせてよ!」
写真家、画家、美術評論家。それら以外にも様々な顔を持つ。今日の撮影の依頼は、旧知の写真家としてのルーク・ハントに来たものだった。だが、一応の本業は考古学者だ。子供は、考古学者としてのルークの、その探求に憧れを抱いていた。
「ふふふ、このルーク・ハント、撮影の前に今日は君だけの吟遊詩人になってあげよう」
まっすぐな視線を向けられて、ルークは胸を張った。ベンチに並んで腰かけて、これまでの冒険譚を紐解き始める。撮影スケジュールのことも、一応は頭に留めつつ。
「さて、何の話をお望みかな? 水晶の髑髏が鎮座する神殿の話か、それとも神像の発掘現場で起きたアクシデントの話か……」
「それも好きだけど、今日は弟たちがいないから。もっと、怖い話をして」
「オーララ! 薔薇のつぼみの君や小さな野いちごの君が聞いたら眠れなくなりそうな話をご所望とは!」
「あの子たちがいきなり聞いて泣きださないように、私が先に聞いておかないとね」
「では……勇猛な騎士の君に、とっておきの話をしよう。海の底の都市の更に地下深くに封じられた亡霊たちと、その門を守る一族の話はどうかな?」
「亡霊?」
「あまり魔法を使いすぎてはいけないと、君も普段から戒められていると思うけれど……。それは我々魔法士の背後に立つ亡霊に飲み込まれてしまうからなのさ——」
それはルークが今の道を選ぶきっかけになった冒険の話だった。魔法に溺れ、感情に溺れた魔法士が最後に沈む場所。死後も消えない、強大な澱たち。そしてそれをひっそりと守る人びと。冥府へ降りていく男。それを追う者たち。取り戻せなかったもの。帰還した人々。帰りを待ちわびていた人々。そして最後に起きた奇跡。
「どうしてパパは学園に残ったの? 追いかけなかったの?」
途中、襲撃者を追うくだりで子供が口を挟んだ。「残念ながらそうしたくてもそういうわけにはいかなかったのさ」とルークはトレイの名誉を守る。
「君の片方の父君にはひどく絞られたものだよ。自分だって行けるものなら行きたかった、どうして一人で行ったんだとね」
あの時のトレイは、声や表情こそ荒らげなかったが、行き場のない焦燥をぶつけた結果であろう山のような焼き菓子を背後に、ひしひしと無念を訴えていた。
「けれどね。じっと落ち着いて、帰ってくる場所を守るというのも、難しいことなんだ。実際、私にはできなかった」
だが、いつも通りに帰りを迎えた菓子が、いつも通りに整えられた庭が、いつも通りに全員揃った寮生たちが、冒険の後の女王をどれほど癒したことだろう。重要人物の不在において”いつも通り”を維持することは極めて難しい。水は低きに流れるものだ。もっとも、常に上を目指す子供に実感として伝わるかはわからないが。
語り終わる頃、子供は、しんと静かになっていた。教訓めいたことを言って諫めたり萎縮させたりするつもりはなかったので、ルークは慎重にその表情を窺う。
「動かない強さもあるって……よくわかったけど」
子供はぱっと顔を上げた。未知への抑えきれない切望を抱えた表情で。
「それでもやっぱり私は、自分の力でどこかへ行ってみたい。その一族みたいに……そこを離れられない何かに、自分から会いに行ってみたい。どこへでも行きたい。どこまで行けるか、自分を試したい!」
「……君ならできるとも。君ならきっと、この星の中心へも、無限の彼方へも行けるとも!」
二人してワッと盛り上がって、ベンチを立つ。その高揚した表情を、ルークは早撃ちのようにまず1ショット、フィルムに納めた。
「では、どこかへ行ってしまう前に、せめて今の君の姿を写真に収めてもいいかい?」
「……仕方ないな……」
自然光の中カメラを向けると、子供はもつれた髪を整えてしゃんと背筋を伸ばし、別人のようにきりっとした目でレンズを見据えた。
「そうさ、若き騎士の君、君にはどちらもできる! 遠くへ飛び出していくことも、とどまって伝統を守ることも——それが見たかったから、普段とは違うクラシカルなドレスを君に着せたいとご両親は思ったのではないかな」
「そう? でもどうしても落ち着かないんだけど」
「よく似合っているよ、実にボーテだ。素敵なお嬢さんになったね、騎士の君」
不服さを残した仏頂面が、ほんの少しはにかんでほころんでいく。柔らかくなっていく表情をフィルムにおさめるシャッターの音だけが、しばらくの間響いていた。捕まえられないわずかな瞬間を、永遠にするために。